初心者からワンランクアップした、日本美術鑑賞のコツ
あの時の緊張を乗り越えたから、今この感動があるんだ……。
私は、目の前にある作品のあまりの美しさに涙目になりながらガラスケースをのぞきこんだ。そこには長さ約14メートルに及ぶ絵巻物が広がっている。「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(つるしたえさんじゅうろっかせんわかかん)という江戸時代初期の重要文化財で、端から端まで歩くとだいたい20歩となる大作だ。
東京国立博物館の『本阿弥光悦の大宇宙』で披露されたこの作品は本阿弥光悦と絵師の俵屋宗達という美術史上稀に見る天才アーティストたちによるコラボレーション作品だ。光悦は、書画、工芸のさまざまな分野で才能を発揮し、国宝2点、重要文化財20点を数える日本美術を代表する芸術家である。
この絵巻は、同じく国宝作家である宗達が金銀泥で飛び渡る鶴の群れを描き、そのうえに光悦が三十六歌仙の和歌を散らし書きしている。パラパラ漫画をイメージしてもらうとわかりやすいだろう。鶴たちが飛び立つところからスタートし、上昇と下降を繰り返して降り立つまでの様子にあわせて光悦が書いた文字は、鶴の飛来の高低にともなって緊迫感や安堵感が字形と字配りだけで表現されている。その作品の前から動けなくなり、端から端へと鶴の動きと文字を追って何度も行ったり来たりした。
このように鑑賞しながら興奮の極致にあった自分だが、日本美術の奥深いおもしろさを知ったのはわずか数か月前のことで、ある人物と対話したことがきっかけだった。そのときの自分はかつてないほどの緊張と不安が入り混じる渦のなかにあったことを思い出した。
その日は、天気予報通りに一日中雨が降っていた。京橋の日本美術のギャラリーのエントランスの前に私は立ちつくしていた。これから、このなかに入ってギャラリーの店主を取材しなければならない。自分のような小心者が初取材の相手になんという大物を選んでしまったのか。たっぷりと高くとられたガラス窓越しに古い掛け軸がかかっているのが見えるが、神経が張り詰めて一歩も動くことができない。朝のニュースでアナウンサーが「女梅雨(おんなつゆ)」と言っていたのが心に浮かんだ。しとやかな女性を思わせるかのように、しとしとと長く降り続く雨のことをそう呼ぶのだそうだ。対して私の心のなかは台風のように荒れ模様だった。
「思い切ってもう家に帰ってしまおうか」
傘を持つ手はじっとりと濡れている。梅雨の雨粒ではなくて緊張の汗のせいだ。約束の時刻まであと3分だ。
当時の自分は、三ヵ月のライティングスクールで執筆を学んで一年足らずの駆け出しライターだった。もともとアートに興味があったということがあり「こういうのがあると面白いかも」とあたためてきた『美術商に学ぶアート思考』という連載の企画書を同スクールの編集会議でおっかなびっくり提出した。内容は現代アートや西洋絵画などさまざまなジャンルの画廊を取材して、真摯な眼でアートと向き合っているオーナーたちの思考から、感動とは何かをさぐり、その心の動きを人生や仕事に生かすためにどうすればよいかを提案するものであった。
この編集会議はレベルが高く厳しいと聞いていたので、未熟な企画だと突き返されてもそこから何かを学ぼうと覚悟していた。ところが面白いと企画が通ってしまって連載がすんなりと決定した。思いがけない展開にうれしいどころか責任を感じて不安で泣きそうになった。自分は画廊のオーナーと対等に話ができるのか、原稿としてまとめることができるのか、あとには引けず懸命に進めるほかない、そんな追い詰められた感覚が爪の先までヒタヒタと満ちた。
気を取り直して人生にあるかないかの貴重な機会だから第一回目の取材先として憧れていた日本美術の画廊に依頼をしようと決意した。その店は蔵を思わせる和を意識した外観でありながら、内装は無機質なコンクリートがベースとなっており、その対比がモダンさを感じさせた。何度も前を通ってなかはどんなふうになっているのだろうと気になっていたが、入るのをためらってきたのだ。
手帳に「画廊に取材の電話をする」と書き込んだ日がやってきた。何度も自己紹介と企画の主旨のメモを読む練習をして、噛まずに話せるようになったところで震える手で携帯の番号を押した。きっと断られるに違いないし、この経験を一生の思い出にしようという考えだった。ところが先方が快く受けてくださったのだ。
これまで生きてきたなかでは、異動という名の左遷、好きな人に告白すればふられて、手に職をつけようと資格試験を受ければ不合格など負けた記憶しかなかった。だからマイナスを予測する思考習慣が基本となっていた。それなのに今回に限っては行動を起こすとスイスイと実現していくことに逆に萎縮した。それに昔から長雨の時期には物事をネガティブにとらえがちになる傾向があった。
チャンスを前に奮い立つより逃げ出したい気持ちが湧いてくる。バッターボックスに立つ野球選手はこんな感情と闘っているのだろうか。テレビで見たユニフォーム姿の大谷選手が脳裏をよぎる。「がんばれよ」という声が聞こえた気がして、私は思い切ってギャラリーの扉を開けた。
「こんにちは」
なかに入ると、クーラーが快適に効いて心地よかった。
「もう覚悟を決めるしかない」
受付の女性に名乗ってから案内を待つ間、素早く店内を歩いて掛け軸に目を走らせる。円山応挙(江戸時代後期の天才絵師)が得意だったという仔犬、横山大観(明治の巨匠)の富士山、徳川慶喜の書、渋沢栄一の色紙もあるではないか。
日本画や書が美しく展示されていて外のジメジメした世界と切り離された、想像以上の高貴な別空間だ。作品のみならず壁の色、スポットライトの照度や当たり具合も絶妙で店主の審美眼の鋭さを感じる。するとスタッフの方に声をかけられた。
「どうぞ、2階へ」
上がるとすぐに風雅な床の間があり、そこにオーラを放つ一枚の作品がかかっていた。「あれは……!」と振り返ったがゆっくり見ている暇はない。個室に入ると店主の方が待っていた。年齢は私より若い。白いシャツに黒いパンツという親しみやすい印象にほっとした。
取材が始まった。店主はとてもオープンな人柄で私が準備した質問にわかりやすく豊富な語彙を使って答えてくださる。「よかった。同じ言語を持つ方だ」と安心した。この取材は完全なる異世界へ飛び込むようなものだった。それで、幾晩も相手の言うことが理解できなくて何度も聞き返すという悪夢に苦しめられてきたからだ。背負った重い荷物のひもが徐々にほどけていくようだった。
アートのなかで日本美術というジャンルは、独特の価値観に裏打ちされている。京都など古い町を歩くとわけもなく美しさを感じた経験はないだろうか。「わけもなく」、それがまさに日本美術の核心なのである。それをあえて言葉にすると「わびさび」「幽玄」という表現になるだろう。例えば、西洋の美の基準は、左右対称であることや全体の調和、幾何学的要素などの理路整然とした感覚が基準で説明ができる客観性が高いものだ。
一方で日本美術の核心は能や茶道といった分野において継承されてきた。氷山をイメージするなら、水面の上にあらわれているのは作品の一部であって水面下にこそ本質が存在している。もちろん水上の一部だけでも十分に美しい。しかし、作者の意図としては、鑑賞者が表面にはあらわれていない奥底の核心へ自力で到達してくれることを求めている。とても主観的であいまいな世界なのだ。ある意味で作者と鑑賞者の感性のゲームとでもいうか、どこか試されているという感覚をおぼえるのが日本美術の味わいなのである。
この美の在り方にハマったのが、織田信長を筆頭とする戦国武将たちだ。彼らは、千利休が考案した茶の湯を政治的なコミュニケーションの場として使ったが、自分が武力のみならず雅を感受できる粋人であることの証明として茶道具を愛し、夢中で収集した。一つの茶碗や茶壷が一国以上の価値を持つことはめずらしくなかった。現代の日本美術には、こういった精神性が受け継がれている。つまり、風雅を理解する人間こそが最も強いのである。
このルールにのっとってみようと、私は話が一段落したタイミングで思い切って切り出してみた。
「一つ質問があって、床の間で掛け軸を見ましたが『伊藤若冲』ですか?」
「ああ、そうですよ」
伊藤若冲とは、世界中に熱狂的なファンを持つ江戸時代の絵師だ。独学で絵を学んで確立した世界観が特徴で、特に鶏をはじめとする動物を得意とした国宝級の画家である。
「私の実家にも床の間がありますが、若冲はとても飾れません。あの床の間だから作品が輝いて見えるんですね」
「ええ、実はこの床の間の建築にはこだわりがあって、京都の茶人と大工さんの協力を得てあちらで一回組み立ててから、東京へ運んだのです」
店主が笑顔で語りはじめた。思いがけず展示作品を最高の状態で見てもらうための店舗の設計についての裏話やご苦労をうかがうことができた。空間全体を日本美術としてとらえておられる視点を原稿に盛り込むことができれば、新しい鑑賞の方法を提供できるかもしれない。私は、ワクワクする気持ちを止めることができなかった。
取材が終わり外へ出ると、雨は上がっていて大手町のビルの灯りが目にまぶしかった。もう日が暮れていた。梅雨の夜ならではのムワッと熱気が頬を撫でたが不快に感じるどころか心地よかった。これが歴代の日本の芸術家たちが愛してきた季節の空気感であり、夏の兆しなのだ。これまでたどりつけなかった日本美術のコアへのドアが開いたような気がした。その夜に原稿を4回の連載に分けて一気に起こすことができた。
取材はずいぶん昔のことのように思えたが、まだ数か月前のできごとだった。なのにあの日から日本美術を見ると以前とは違う何かが感じられる。
今回の『本阿弥光悦の大宇宙』に話を戻すと、最大の見どころは国宝の《舟橋蒔絵硯箱》(ふなばしまきえすずりばこ)であった。彼の代表作として有名な硯箱である。蓋を高く山形に盛り上げた斬新なデザインで箱の全面には、金粉が密にまかれ、黒い鉛の板で掛け渡された橋をイメージしている。銀の板を切りぬいて散らし書きにした文字がミステリアスなイメージを高める。実はこれは光悦が仕組んだゲームのような作品で、鑑賞者に対する挑戦状のようなメッセージがこめられている。散らし書きした文字をたどっていくと『後撰和歌集』の歌の一つ「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」であることがわかるが、「舟橋」の二文字が省略されている。つまり「舟橋」は箱の意匠から読み取る仕掛けなのだ。「あ、謎が解けましたよ!」と一瞬にして約400年前を生きた光悦との交流ができたような楽しさがある。水面下に隠れた美の発見こそが、心をゆさぶられる日本美術鑑賞の醍醐味である。
取材前の自分なら、このような面白みには気付けなかっただろう。画廊の店主との対話という緊張を乗り越え、理解できたからこそ、日本美術を見て感動で動けなくなるというところまで感性を育てることができた。
会場のロッカーから荷物を出していると携帯が鳴った。スクールのスタッフからのメッセージだった。「連載の『美術商に学ぶアート思考』の掲載準備が整いましたので原稿を送ってください」とあった。
ついにこのときが来た。私の感性を一つ花開かせてくださった店主のお話をこれから多くの方に読んでいただければ、そのなかから自分と同様に新しい鑑賞方法で日本美術を堪能する方が生まれるかもしれない。
博物館を出ると、この冬いちばんの寒波とあって私は思わずコートの襟をあわせたが、心は弾んで暖かかった。上野公園の森の上に広がる夜空は果てしなく続くように感じられた。数百年前を生きた光悦も同じように空を見てインスピレーションを得たのだろうか。
ああ、アートはなんておもしろいのだろう。見れば見るほど知れば知るほど、もっと感じたい、もっと感動したいという欲望が強くなっていく。自分の心のサイズをはるかに超えて美術への思いが無限の宇宙のように真っ暗な空へと膨張していくのがわかった。これからアートとかかわるなかで、望まない出来事も起きるかもしれない。しかし受け入れた先には一つ階段を昇った満足感があるはずだ。私は今日の夜空とともにこのことを決して忘れないようにしようと誓った。
《終わり》
執筆者プロフィール
杉村五帆(すぎむら・いつほ)。株式会社VOICE OF ART 代表取締役。20年あまり一般企業に勤務した後、イギリス貴族出身のアートディーラーにをビジネスパートナーに持つゲージギャラリー加藤昌孝氏に師事し、40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなど美術品の価値をシビアな眼で見抜くプロたちによる講演の主催、執筆、アートディーリングを行う。美術による知的好奇心の喚起、さらに人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。
https://www.voiceofart.jp/