痛さの基準
骨折をしてから、次男の口癖は「骨は折れていないけど、痛い」になった。
次男が3歳位の頃だっただろうか。押し入れの上から布団に飛び降りるのが日課だった。
ある朝、着地の音がいつもと違って、嫌な音がした。
なんとも形容しがたい鈍い音。
少し間があって、泣き始める。いくらなだめても泣き止まない。
これはおかしいと思い、外科へ。
結果は、骨折ではなく鎖骨にひびだった。
鎖骨なので、ギブスはなく、『巨人の星』に出てくる養成ギブス?、いや
たすき掛けベルト?のような補助バンドをつけて過ごすことになった。
幸い骨は驚異的な早さでくっつき、元の生活にもどった。
けれども、痛さの記憶は残ったようで、彼の口癖は、「骨は折れていないけど、痛ぁい~」になった。
元々痛みには強く、兄と一緒に遊びたくて、けがをして血を流していても平気で遊び続けるような子だったのに、「骨は折れていないけど、痛ぁい」なんて言うようになって、可笑しかった。
その後、野球を始めてからはもっと「痛ぁい」けがをすることになるのだが、彼の中での痛さの基準はやはりあの時の人生で初めての大きなけがなのだろう。
記憶の中でも、とりわけ痛さを伴う記憶は長く続くのかもしれない。
昨日の記事で、漢字の「骨」を扱ったからからなのか、今日は骨に関する話題が他にもあって、いろいろ思い出してしまった。
この記事を書きながら、もう一つ骨にまつわる話、あ、もう二つ思い出した。どんだけ骨好きなんだ。下書きタイトルリストに入れておこう。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。
また、次のnoteでお会いしましょう。