基地のある街に住むということ
昨日の投稿で、沖縄に住んでいたと書いたのですが、実は2018年の半年間、沖縄の宜野湾市に住んでいました。なぜ沖縄に住んでいたかというと、「基地のある街で暮らす」ということがどういうことなのかを、肌で感じたかったからです。いろいろあって半年で帰ってきましたが、そのときに感じた基地のことを綴ります。
わたしが住んでいたのは宜野湾の中でも喜友名という場所で、家の真裏が普天間飛行場でした。つまり基地の真裏に住んでいました。宜野湾は市の面積の32%が基地です。
まず思ったことが、ヘリの音がとてつもなくうるさいということ。窓を開けていたらテレビの音も聞こえないくらい毎日うるさい。家の近くにスーパーがあってよくそこに買い物に行っていたのですが、そこからオスプレイが飛び立つ瞬間にたまに遭遇します。
こんな感じ。写真でみるよりずっと大きいしうるさいです。こんな巨大なものが「よく落ちる」んだから、日々不安でしかないです。実際に幼稚園にも大学にも米軍機は墜落していますので。
家の近くには佐喜眞美術館という場所もあります。この美術館は館長の佐喜眞道夫さんが、静かに心を落ち着けて「ものを想う場所」をつくりたいと願い、普天間基地の一部が返還された場所に1994年11月23日に開館しました。沖縄戦をはじめ、生と死や平和と戦争などについて考えさせられる作品が並んでいます。
返還された土地に美術館があるので、ここの屋上から普天間基地を眺めることができます。
ちょっと分かりづらいかもしれないですが、こんな景色が180度広がっています。
航空写真にするとこんな感じ。普天間基地がどれだけ広くて、それによって生活がどれだけ不便になっているかわかると思います。この基地がなくなって新しい道路ができたら、道がとっても混雑することもないし、なにより便利なんです。さまざまな場所に基地があることによって遠回りをしなきゃいけないことが多すぎるんです。でも暮らしていたらそれが当たり前になっていくんだけど。
青くて美しいビーチに行って気持ちよく空を見上げても、米軍機が当たり前のように通っていきます。その光景はとても異質なんだけど、それがどんどん日常になっていくんです。最低賃金がダントツで低く、貧困の家庭も多い沖縄で、基地に対して声を上げることは簡単ではありません。自分たちの生活がかかっているから。そもそも日常を当たり前のように生きていくので精一杯で、そのうちヘリの音とか気にならなくなるんです。わたしも「うるさいな」って思いはするけど、そのうち、その騒音でさえも日常に溶け込んでいったように思います。
ただ、沖縄で住んでいる人の多くは米軍基地はないほうがいいと、オスプレイは飛ばさないほうがいいと、辺野古に基地はいらないと思っています。思っているけど、声に出せない現実もあるし、なにより「引き受けないという選択肢がなければ仕方ない」と心を痛めている人がほとんどのように思います。それが日常なんです。
本土ではよく海兵隊の事件が取り上げられますが、そういうのは本当にごく一部の人で、たいていの米兵はいい人です。居酒屋でバイトをしていましたが、気軽に話しかけてくれるし、とっても優しい。米兵と付き合っている友達も少なくないです。
それを思うと、「米軍は沖縄から出ていけ」と一概に言うのには抵抗を感じるようになりました。もうそこにコミュニティが生まれているから。誰だって大切な人と引き離されたくはないよねって。
でもね、沖縄の人が歯がゆい思いをしているのは、本土の人の思考不足だと痛感する。沖縄では毎日基地に関する報道がされているけど、本土では全くない。それは沖縄に基地を押し付けているから。その構図は75年前に、沖縄を犠牲にして本土を守った、あの戦争と一緒。まだ戦争の名残が続いているんです。
基地はないほうがいいってずっと思ってたけど、それを声に出すことは簡単なことではないし、生半可な気持ちではだめだなと思いました。でもその感覚は、実際に沖縄に住まなかったら分からなかった感覚です。当たり前だけど、沖縄も日本です。だからこそ沖縄の問題に寄り添える人間でありたい。
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