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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』をまだ3回以上観ていない人が見落としていたこと〜Thrice upon a time(3度目の正直)

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以下、シン)を私は既に初週に2回観ていたのですが、先日のNHKスペシャル『プロフェッショナルの流儀』を観て3回目の上映を観に行きました。

地デジ移行期にテレビを部屋に置くのをやめたので、観たい番組はAbemaTVと同様にNHKオンデマンドで課金して番組を視聴しました。

私は大学生の頃からNHK不要論者ですが、自分が観たいもの、自分が価値を認めるものに私はお金を払います。

そうしなければ誰も作品が作れなくなり、その企業や業界が衰退するだけでなく経済が縮小してデフレが進み、国そのものが貧しくなってしまうからです。


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ちなみに私のシン鑑賞履歴は次の通り。

1回目、公開初日午後(東映系バルト9)

2回目、公開初週の金曜日午後(GS,4DX)

3回目、3月末日(GS,BESTIA enhanced)

4回目、4月1日ファーストディ(東宝系MX4D)←追加


2回目は以前の記事で書いた通り4DXの迫力の動きにつられてじっくり味わえなかったので(笑)

3回目は作品を久しぶりに味わってきました。

その翌日は折角のファーストディなので、差額を払ってMX4Dでの鑑賞(笑)

これがシンのファンの楽しみ方*ですよ(*´꒳`*)
*作品の楽しみ方は人それぞれ


尚、3回目は2回目同様に引き続きグランドシネマサンシャイン(GS)で観てきました。

その理由はいくつかあるのですが、私ここのアプリ会員(年会費500円)なんですよ。

大きな映画館は最近それぞれやっていますね。

会員だと木曜日は1,100円で映画が観れます(=´∀`)人(´∀`=)

コロナ禍でこの一年ほぼ行けてなかったけど、年会費だけはちゃっかり取られていまして、悔しいのでポイントも前回の分を含めて一回分の上映引き換え分(6pt)が貯まっていたのでこの機会に使おうと思いまして差額3,200円を支払ってプレミアムシートに初挑戦してきました。


BESTIA enhancedとGSプレミアムシートの価値は?

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最後列で電動リクライニングの皮張りの椅子にゆったりと座って鑑賞です。

ミール1,300円分は上映前に頂きました。

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(ワッフルとフライドチキンにメープルシロップかけて食べるという強力な誘惑。差額+220円でソフトドリンク付きにしました。)

このミール分を考えれば実質1,900円の追加負担ですから普通に一般観るのと変わりません。

けれど正直すごいお得感(*´꒳`*)

何故かと言えば、この電動リクライニング…フットレストも付いているのです。

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(すみません、お行儀悪くて)

背中のリクライニングもかなり倒れるのですが、それでも最後列ですから目線はスクリーン全体をきちんと捉えることができます。

また通常のドリンクホルダー部分にはポップコーンがすっぽり。

隣の座先との間にも置き場所があり、こっちは置くと自動で冷房が働くドリンクホルダー。(LIGHTの表記もあるが、映画館では機能カットされている)

ポップコーンを置いてる側のスクリーンに向いている部分にはUSB-Aポート2つ!

至れりつくせりですね。

お行儀悪いですが、靴を脱いで鑑賞してたら足のむくみも帰る時には取れていました(笑)

お金払えばこんな付加価値が受けられるのですね。

クセになりそうです(劇場のマーケティングに自らハマりに行く奴)

あとはこの主要キャラクターの集合の配布物ですね。

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確か『プロフェッショナルの流儀』放映の辺りから配られたという話ですが、やはりファンとしては抑えておきたいですね。

尚、白いプラグスーツ姿のアスカのネタバレ禁止の奴は代わりに配布されませんでした。

これも何回もファンの足を運んでもらうための立派なマーケティングですが、私は大切だと思います。

中には週ごとに特典を変えたり、キャラクターをランダムにした特典を配るなんてのもあるくらいなので、エヴァは優しい方です。

尚、パンフレットはやはり公開初日から危惧していましたが売切で入荷未定でした(・。・;

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私のあの記事がどれくらいの影響は、まぁ多分関係ないでしょう。

まぁパンフレットを買ってこそのファンですよね?( ͡° ͜ʖ ͡°)

TOHOシネマズ新宿にはありました。流石、配給元の一角。(今回はカラーに東宝と東映の2体制による供給という珍しい形)

しかし上映が終わる時間によっては売店が閉まっている可能性もあるので、上映前に買っておくのがお勧めです。

次は色が綺麗というIMAXにも近々挑戦したいですね。(感染者増えてきているので再び時期未定ですが)

さて、今回のBESTIA enhancedですが私は音の事は門外漢なので正直よく分かりません(汗)

音楽の通知表は3段階でも5段階でも2が基本ですから、兎に角私の人生の中の対極に位置する科目ですね。

音楽って科目はしみ方を学ぶものだと思うのですが、日本の授業って音を嫌いになる・音に苦しむ科目になっているんですよね。(言い訳)

小学校の演奏会?発表会?弾いているフリと吹いているフリで乗り切ってきました( ͡° ͜ʖ ͡°)ドヤ


しかし通常料金に+200円で素人耳でも分かるレベルでは音がイイという事だけは言えます。

テレビアニメ版でもカヲルは「音楽はいいね。リリンが生み出した…」と語っていたほどです。

家でシアター設備や良い音響設備を整えるのは色々大変ですから、映画館では家庭では味わえない世界を愉しむのもオツなものです。

しかしBESTIA enhancedが具体的にどれくらいいいのかは正直私には分かりません(笑)


それでもスクリーンという大迫力の映像に、大音響プラスという点においてやはり臨場感のある音というのは良いなと思いました。

特に違いを感じやすいのが爆発音や宇多田ヒカルの歌の歌うテーマソングの”oh-oh-oh-oh♪”とかの部分のような重低音というのですか?

打ち上げ花火が弾けた時の腹にドーンと響く感じ?

あれに近いものをで感じる事が出来ました。

ドキドキする感じです。(語彙力ェ…)

音楽の通知表2だったので音に関しては表現力に乏しいですが、いい音で楽しめるのがBESTIA enhancedという事で以上前置き終わり。


まぁ、多分もう時期的にもコアなファンが丸裸にしてしまってネタバレ動画や解説動画を投稿しているのかもしれませんが、私は私のペースで着々とやっていきましょう。


やはり光の巨人はシン・ウルトラマンだった⁉︎

今夏の公開が延期決定となった庵野秀明およびカラーの『シン・ウルトラマン』ですが特報が上映前に流れました。

既にYouTubeでも観られるものですが、こちらです。


「早速鋭意製作中・公開日調整中」の案内が出ました。

しゃーない。色々しょうがない。
庵野総監督のこだわりからすれば、それがコロナの影響なのか脚本からのやり直しなのか分からないが、もはや妥協せず「ハリウッドよ、これが日本のエンターテイメントだ」と言う弩級の作品を作り上げてほしい。

上映前に「ゴジラvsコング」の予告もなんというか当てつけっぽいよね(笑)

しかしシン・ウルトラマンの予告を観ると怪獣がやっぱり使徒っぽく見えてしまうのも仕方ない(笑)
シンつながりでまさかシンジ君がウルトラマン説とかもあるのだろうか
( ͡° ͜ʖ ͡°)ないない…

この予告では特に怪獣が山登ってるシーンはもうこれは新しい使徒と言われたらそうだよなと思ってしまう。

『巨神兵、東京に現わる』含めた庵野マジックにまんまと仕掛けられている気がする(※楽しい!)


『シン・ゴジラ』のラストまで観れば、もうアレがコレに関連しているとしか思えないミスディレクション。

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コレがあるから、『シン・ウルトラマン』も関連性を見出そうとしてしまう。これって悲しいけど、人のサガだよね。


”Thrice upon a time”とQエンドの正史レイ√(庵野ジョーク)

“Once upon a time”はいわゆる「昔々のことだった」という物語の始まりの語りの慣用句ですが、直訳すれば変な感じになりますが”upon”は「〜によると」ですので、「一度あったことによるとこの時間は」となります。

つまり「以前にあった話ですが」や「昔々あった話ですが」などと翻訳されます。

この「昔々あった話ですが」こそがエヴァンゲリオンを”神話”として語る上での重要なファクターだと思います。(少年よ神話になれ♪ですね)

シンのタイトル公開の頃から映画や小説などのタイトルからのオマージュや引用であるなどの説もありますが、それはそれとして”Once...”(一度あったこと)と来れば”Twice…”(二度あることは)、そして”Thrice...”と来れば「二度ある事は三度ある?」「昔々のこと」掛けている言葉遊びかなと予想します。

ここで言う一度目にも様々な解釈が可能です。

テレビアニメ版を一度目、旧劇場版を二度目、そして序破Q+シンにおける新劇場を三度目とする終劇を迎えた回数説。

またはテレビ版+旧劇場版をワンセットとして捉えた一度目、序破Q+シンをワンセットとした二度目、またあるかもよ?という三度目の予告の匂わせ。

これはイチファンとしては嬉しいし、既に四半世紀かけていますから、もはや庵野総監督と自分の寿命どちらがみたいにあと何年でも待ってしまいそう(笑)

また少ないかもしれないけど人によってはテレビアニメ版+旧劇場版、序破Qでの新劇場版3部作、シンで今回がやはり三度目だという説もありかも。

私も「3.0+1.0」という表記を考えるとこの説もありだと思っています。

が、やはり「エヴァは終わらない」「終わらないからこそのエヴァンゲリオン」という声もあるので、やはり真ん中のだといいなぁ。

まぁシンを観た後でテレビ版OP(残酷な天使のテーゼ♪)の再考察をした人からすればまたまたあるぞ(笑)を支持したいですね。

ぶっちゃけると「3.0+1.0」って表記はQで畳み切れなかった説が有力だと思うんですよね。

何故って?上映時間と制作スケジュールの都合では?

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いくらエンターテイメントとは言え、上映前の予告から始まり本編上映時間は一般的な人の集中力の限界とされる90分を超えます。

大学の授業など1講義が最大でもこの長さなのは、一般的に集中し続けると言うことの過酷さの証明でもあります。

あとトイレ休憩、大切です:(;゙゚'ω゚'):人によってはオムツ必要なレベル…


シンを除けば、当初は破の時間の長さを超えることはやはり許容できなかったのではないでしょうか?

つまりQで綾波レイを助けたシーンですね。

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ここからあと15分くらいで話を畳もうとすれば、綾波レイを助けられてめでたしめでたし…に物語としてやってやれない事はないと思います。

しかしそうなるとあんなに意味深に序破で出てきた渚カヲルの存在が謎のままになって放置されてしまう。

作品全体に散りばめられた謎の数々も放り投げになる。

つまりこの「綾波レイ」に”エヴァに乗らない幸せ””エヴァンゲリオンのない世界”(生き方)を選んでもらうためには何度も物語をやり直してそうでないルートを探し続けなければならなかったのだと思うのです。

そしてこれはシンで一つの可能性が描かれていると捉えることが出来ます。

解釈次第で幾つもの物語が分岐して生まれる…これがシンの、エヴァンゲリオンという作品世界の魅力ですね。

シンでネルフ第二支部廃墟跡地へ家出をしたシンジは水の上に立つ(水面に影がある、白い月が巨大)という有り得ない状態の綾波レイの姿を観ます。

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そして白い鳥が羽ばたく音に一瞬気を取られている隙にその姿は消えてしまいます。

あのテレビ版第一話の冒頭のシーン(既視感と私は呼んでいる)を彷彿とさせる大切なシーンです。

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クライマックスが近づく中で、初号機(SIDE-A)に取り残された髪の伸びた綾波レイ。

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彼女を迎えに(助けに、補完をしに)行ったシンジはQのレイと、赤ん坊のぬいぐるみを抱き抱える黒波(作中でそっくりさんと呼ばれる方)の両方を綾波レイとして(名前考えたけど…綾波は綾波だよ)統合して、シャッターの向こうの世界へ見送ります。

※私はこのそっくりさんに、「はだしのゲン」で亡くなった主人公の弟のそっくりさんのエピソードを思い出すのですが。まるで戦中か戦後間もない頃のように慎ましい生活感が一層それを感じさせる。

エヴァの登場人物たちの名前が全てカタカナなのは意味の幅を持たせるため、または狭めるためでしょう。


そしてシンの最終盤、宇部新川駅(庵野総監督の故郷)のホームで、シンジとは別なホームで電車を待つ人影の中に、レイとカヲル、左側のベンチに座るアスカと思しき姿があります。

別な物語への出発を待っているんでしょうか。

駅のホームは旅立ちと別れの場所、始まりと終わりの場所でもあります。

終盤にドローンでの空撮を思わせる旋回シーンで黄色の電車ではなく、黒い電車が走って行くのはアスカ・レイ・カヲルたちを乗せた電車がテレビ版や旧劇場版への出発をした事を表しているのでしょうか?

それとも全く違う物語への出発全く異なる人たちを乗せた出発彼らを乗せた作品の通過でしょうか?

私はQの綾波レイ救出のシーンは、Qにおけるクライマックスであると同時に新しい物語の始まりでもあると考えています。

このシーンアレに似ているように思えるからです。

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受精

母ユイのクローンであるレイという殻(卵子)に入り込もうとするシンジ(精子)という叶わぬ想いを遂げる図…ヘンタイですね。

いや、生物は皆プロセスに様々な違いこそあれ卵子と精子の受精によって生まれます。

これを否定や秘匿するのは自分の生命に対する冒涜(ぼうとく)でしょうか。

ここが新たな物語(人生)の誕生の瞬間なのです。

つまりレイとシンジというカップリングにおける正史(=精子)というOP各所にも散りばめられた庵野ジョーク(笑)


もし今後、カラーやカラー出身者などがレイっぽいキャラクターを見かけたらそれはもしかしたらシンジ×レイの子ども説も登場するかもしれませんね。

さぁやっと、今頃になって見えてきましたよね?

庵野総監督は「気持ち悪い」とかの一般的にはディスられる言葉さえ褒め言葉に脳内変換している気持ち悪い存在です(これは褒めているんですよ?一応)

ナイーブさと強メンタルの両方を兼ね備えているという二元論ではあり得ない矛盾を抱えているからこその人間の魅力

これ、比較すると各所で怒られかねないのですがスティーブ・ジョブズの変人エピソードに度々登場する現実歪曲フィールドと似ているんですよね。

うーん、楽しい!!(*゚∀゚*)

色んな解釈が出来て楽しいですね。

これがエヴァ本来の楽しみ方ですよね。

是非、劇場版における”三度目の正直”観てみたい!!(そして私は4度目の鑑賞済み)

エンドロールに並ぶ”安野モヨコ”の存在感

庵野秀明総監督の配偶者、漫画家:安野モヨコの名前もエンドロールに2度でしょうか?並びます。

しかも劇中に登場する絵本の表紙にも。

シンは庵野総監督にとっての彼女あっての作品である事を随所に感じる事はできます。

『プロフェッショナルの流儀』を観ても、庵野秀明は安野モヨコを信頼している面がとても大きいことを感じます。

彼女なしに新劇場版も今作もあり得なかったでしょう。


作中では懐かしい旧友たちとの再会と第三村での日々。カヲル君の爆死というトラウマを抱えてアスカの裸よりDSSチョーカーを見て嘔吐するシンジ。(旧劇場版では映し出したアスカの乳首は描写されないのは昨今の放映倫理の問題か?それとも左目の眼帯と関係があるのか?)


このシンジの状態、これは庵野総監督自身の鬱経験の一面と考えるのが自然でしょうか。

「この根性なしめ」

「コイツの常套手段でしょ」

「この程度の精神強度でエヴァに乗らないで欲しい」

「あんたメンタル弱すぎ」

苛立つアスカの辛辣な言葉は、エヴァの呪縛により身体的成長の止まった14歳のままの姿、寝ることも食事を味わう悦び奪われた彼女にとっては羨ましくもあり、ずるいとさえ言えるのかもしれません。

そんな鬱状態のシンジに対して厳しくも優しく見守るスタンスを保つケンスケ。

「今の碇には…」

「よくやっているよ」

「今はそれでいい」

「好きなだけ頼ってくれていい。友達だろ」

この言葉はニアサーや父親の死、そして村の生活ラインを維持する便利屋として必死に生きてきた彼の人生観が凝縮されているのでしょう。

達観とも呼べますが、作中の誰よりも一番精神的に落ちたついた大人な印象を受けます。

作中のタイムラインで言うのであれば、破とQの間の描かれていない14年間のうち、彼ら第一中学の面々はドイツ(フランスだっけ?)への疎開をしていた期間があります。

しかしシンの冒頭で登場するようにそのすぐ近くであるパリはコア化されてしまっています。

16年ぶりのパリか…かつて華の都と謳われた街がこの有様とは」

14年の空白期間、テレビ版(作中の時間軸では2015年)で夜中にリツコはおばあちゃんと電話をして猫が逃げ出した話をしています。

「そう、あの子逃げ出しちゃったの…大丈夫よ、おばあちゃん」

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夜中に祖母と電話という違和感は、国際電話とその後の会話から母であった赤木博士の法要である事を教えてくれ、ようやく繋がります。

「もう2年も帰っていないもの」

14+2=16年ぶり

ドイツの国境寄りの場所であればパリまでは車でもそう遠くない距離ですから、パリへ立ち寄った可能性は十分に考えられます。


トウジやケンスケたちの疎開先だったと思われる場所も似たような状況でしょうか。

トウジも「早く大人になりたかった」

「お天道さんに顔向けできないこともした」と生きる事に必死だったことを語ります。

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クライマックスに向けて紫色のコア化した群れが村を襲い※、結界で堰き止められる村の中で妻子を抱きしめて言い聞かせるように語る様子や、カヲルの「どんな時にも希望はあるよ」と語るその言葉と結びつき、より強い輝きを放ちます。

※東日本大地震の津波など人々を襲った人智を超えた脅威と、ヴィレが残していった結界という超科学による人智を超えたものに守られている人々という図。

誰も一人では生きていけない。

これはアニメ制作だけでなく、どんな仕事でも、誰の人生でも人々は目に見える形・見えない形様々ですが、助け合って生きていることの再確認でしょう。

ともすれば庵野総監督一人で制作…そんな事は不可能です。

そこに本当の意味で気づいたからこそ、庵野総監督は声優やスタッフからの意見を、声を求めて今回の制作を進めました。(詳しくはパンフレットなどで語られている)

自分が作るから、みんなで作り上げるへ…総監督ですから最終的なゴールに辿り着くための方向づけなどのジャッジは必要でも、作品は関わる全ての人と一緒に創り上げる。

これは旧劇場版の独りよがりな突き放すような作品からの黒いメッセージではなく、明確な白い希望ではないでしょうか。

それに気づくためには公私に渡るパートナーである安野モヨコの存在感、そして共に作品を紡いできた仲間たちへの強い信頼感が描かれずとも滲み出ていると言えるのではないでしょうか。


イスカリオテのマリアの仮説2

私は以前「イスカリオテのマリア」について仮説を含む記事を書きましたが、マリが今作ではシンジのパートナーとして描かれて物語は終劇を迎えます。


気持ち悪いステレオタイプの女性に対するイメージと揶揄する者もいるようですが、シンジは母であるユイと3歳で死別しています。

瞼の母ではないですが、母性に人一倍の執着を感じるのはむしろ自然な事ですし、殆どの人は好きでしょ?おっぱい

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マリ=安野モヨコのモデルであるとするならば、作品の至る所で物語を飛び回る姿にはやはりある仮説が成り立ちそうです。

そのヒントとなりそうなのがアスカの大切にしていた人形、ケンスケが出てきた後でスタジオのような場所で眼鏡をかけた女性が遠目に人形の被り物の中にいて、被り物の頭を脇に抱えた状態で現れます。

これは一瞬なのですが、マリのようにも見えます。(別人にも見える不思議)


また旧劇場版のラストを思わせる赤い海の場所で、エヴァの呪縛が解けた大人になったエロいアスカの横に突如現れ

「姫、お達者で」

と声をかけます。

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ここにはシンジとアスカ二人だけしかいなかった場所なのに?


マリは登場人物の求める何者にでもなれるジョーカーのような役割を果たしているのではないか。

つまり時にはアスカにとってのケンスケであったり、母の代わり(母そのものの説もあるが)であったり、友人であったり。

そして他のキャラクターにとっても近い事や同じようなことをする立ち回りだとしたらシリーズ全てを通しての役所を見直してみるのも面白そうです。

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例えばアスカが片想いしていた方の加持リョウジ(修学旅行の水着を買うのにデートをしたりするほど)、あの掴みどころのない彼はシンのクライマックスの中で渚カヲルの事を「渚司令」と呼びます。

そして新劇場版で式波・アスカは加持リョウジにそれほど執着しません。

何かが微妙に違うのです。

それを人は嗅ぎ分けることができます。


シンの終盤ではまるで碇司令(ゲンドウ)がいつも座っているはずの場所にカヲルが座っています。

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そしてそばでまるで冬月を思わせる立ち位置で「ありがとう、リョウちゃん」「そろそろカヲルと呼んでくれよ」と話すカヲルに対して「それはまだ、お預けです。渚司令」とイタズラっぽく笑います。

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そして「渚とは海と陸の狭間」と語ります。

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これは加持リョウジや冬月、またゲンドウの姿を借りたマリの存在の匂わせなのではないでしょうか?

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マリは「匂い」について事あるごとに言及しています。

「大人の匂いってやつ?」

登場人物の椅子を借りて作品に登場する人物…

こんなのイレギュラーすぎますかね?


ゲンドウの補完と円環の秘密

このマリの存在を上記のように仮説を立てると、シンにおけるゲンドウの補完という意味が見えてきます。

「彼が円環の…」「今回の人類補完計画の対象だった訳か」

古い電車の回想シーンから降りたゲンドウを見送り、車内にはシンジの他にカヲルがいつの間にか現れます。

「ここからはボクが引き継ぐことにするよ」

回想シーンは精神世界だからどんな姿でもアリと言えばそうかもしれませんが、カヲルはQでDSSチョーカーの爆発によって死んでいます。

つまりこれはカヲルの姿を借りて、シンジに回想世界に入り込んだ別な存在の役割であるはずです。

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つまりガイウスの槍(ヴィレの槍)を届けたマリのの姿ではないでしょうか。

カヲルは月の海(クレーター)の一つの中でぐるりと外周を囲むように並べられた棺の中から目覚めます。

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「第一の使徒であり、第十三の使徒でもある」

これはあまり説明する必要がないかもしれませんが、円環と合わせて考えるとイメージしやすいでしょう。

数字の中には1から12で一巡してまた1に戻るという性質のものがあります。

使徒のナンバリングもそうですが、この代表的なのは時計の時刻表記です。

エヴァンゲリオンという世界は基本的にこの12進数と呼ばれるものと、TRACKと呼ばれるS-DATなどに表記されているエピソード(テレビ版は~26、旧劇場版は27、新劇場版は28、シンは29)で構成されています。

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そしてこの12進数は恐らく実際、我々現実世界で生きる我々の時間軸でしょう。

そして時計の刻む時間は円環によって巡ります。

エヴァンゲリオン第十三号機は存在しないハズの機体(虚構)というのもこの説から説明ができます。

第十二使徒であるカヲル(テレビ版)、第一の使徒であるカヲルが第十二の使徒に堕とされる(Q)、始まりと終わりは一緒(裏表)という考え方は同じだけど同じではない概念が作中にある事を伝えようとしているのではないでしょうか。


EURO NERVで回収して完成した新二号機α

パリ市街地が封印から解放されて第三新東京市のようにビルが迫り上がり、二号機を優先とした部品回収の指示が飛びます。

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マリが腕を組みながら、これで8号機の修復や二号機の復旧ができるとそのパリ旧市街地の奪還作戦の立案にかなり深く関与しているであろう事が伺えます。

そしてその背景にはそのビルの中に隠されているであろう部品の姿が透けて見えるシーンがあります。

この中に一瞬、「JA-02」という記号の表記が見えます。

私たち観客は二号機が既にQのクライマックスで「ごめん、二号機」とアスカが自爆プログラムを作動させていることを知っています。

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自爆しているはずなのに両腕をもがれた8号機と一緒になぜか拘束具がほぼない状態のむき出しの二号機らしき頭部がすぐに登場します。

(以下はシンのパンフレットと一緒に入っていたInformationなどで案内されている公式認定プラモデラーの画像)

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そしてシンBパートでは恐らくパリ(EURO NERV)で回収した何かとくっつけたニコイチ型(新二号機α)で登場する事に違和感を感じないでしょうか?

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更にシンのクライマックスでアスカが封印柱を眼から抜き、使徒と化して「コード999」を呼び出して覚醒状態になり、補完された筐体から抜け出します。

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この脱ぎ捨てられる方の胸元はこれに似ていないでしょうか。

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テレビ版第七話「人の造りしもの」で登場するエヴァに対抗するために民間で作られて暴走したジェットアローン(JA)という炉心融解の危機に陥ったアレです。

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ミサトの命を張った大活躍で大爆発は防げたものの、コイツ使徒でもないのに何のために出てきたのかと多くの方が再度テレビ版から見直すと思うはずです。

そう、コイツ(JA)は単なるかませ犬でもなければ話を繋ぐためのものでもありません。

全てはシンのための布石(伏線)だったのです。


ヴィレがパリで回収しようとしていた「二号機」はエヴァ二号機ではなくもしかしたらJAの二号機のことだったのではないでしょうか?


そしてもう一つ、このニコイチ型に使われたエヴァ二号機の方は旧劇場版エヴァシリーズに食い物にされた方の二号機もしくは描かれていないが同じように酷い目にあった二号機の可能性もあるのではないでしょうか?

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またはEURO NERVで両方を回収したと解釈することもできるかもしれません。

つまりシンの冒頭で登場するコア化したパリ市街地や第三村は旧劇場版のサードインパクト後の世界という仮説も立つという事になります(トウジは足を庇う様子がないので恐らく義足ではないから序破Qの続きと考える人もいるだろうけれど、私は本音では序も破もQも続きではない別な時間軸アナザー・ストーリー説を支持しています)

※テレビ版では左足切断される事故、漫画版は右足切断の末に…。

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最初は弁慶みたいだなと思っていたけど、剣やビームサーベルみたいな使い方はせずにいるので、JAの炉心棒と同じものかなと。

つまり二号機のシンと『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』も掛けてあるのかなと。

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シンは旧劇場版の別視点から観た裏面説

クライマックスで初号機に髪の伸びた綾波レイを迎えに行くシンジ。この時、このエントリープラグの座席の後ろにはSIDE-A(SIDE:A?)と書かれた巨大なハードディスクのような光沢の円盤が描かれています。

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これはテレビ版などからのエヴァファンにとって真の意味で知っているエヴァンゲリオン初号機の中でしょう。(この画像は零号機のエントリープラグの中ですが)

SIDE-Aと言えば、SIDE-Bですね?

カセットテープの時代にはA面/B面がありました。

エヴァンゲリオンの作品の中ではS-DAT(ウォークマンみたいなやつ)もキーアイテムとして登場します。

Qでもシンでも音楽(ピアノ)は重要な演出をしています。

何故、これほどまでに音に、音楽にこだわるのでしょう?

私はA面/B面などの表側と裏側という概念を伝えるための演出のためではないかと考えました。

この事からエヴァンゲリオンという作品全体にA面とB面があるとするならばどうでしょうか?

作品の全体像の捉え方が変わってこないでしょうか。


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