木を隠すなら森の中③~ウクライナゲート"疑惑"とバイデンの足跡
前回までの『木を隠すなら森の中』①~②では「ロシアゲート」疑惑を中心として解説してきましたが、いよいよ「ウクライナゲート」に触れていきたいと思います。
ニュースなどを観ていて、今更聴けないと思っている方やウクライナ危機へバイデン政権が派兵をしない背景にある物をご紹介していきたいと思います。
「ロシアゲート」終結とウィキリークス創設者逮捕
モラー特別検察官(元FBI長官)によって2年に渡ったトランプ大統領による「ロシアゲート疑惑」に対する調査でロシア団体3、ロシア人13名が訴追、トランプ政権3名も起訴及び略式起訴され、いよいよトランプ大統領に大統領弾劾訴追が迫ると世間が注目している中で2019年5月29日に退任を表明します。
モラー氏はトランプ大統領による司法妨害が完全には潔白ではないとの認識を示しますが、一方でモラー氏を任命した司法省は「大統領の罪を問うことは意見であり、選択肢になかった」と任命元への圧力があったことを伺わせ、トランプ陣営とロシアが「共謀」をしたと問うには証拠不十分と結論付けました。
トランプ大統領は「証拠が不十分ということは、我々の国では無罪という事だ。操作は終わった」とTwitterへ書き込みました。
2006年に創業したTwitter社。個人や著名人のみならず大統領が自身の考えを半ば公式的に発信するようになったのはトランプ大統領からという印象的だが…。
ここに直接関係があるか分かりませんが、数々のアメリカ政府などの機密情報をネット上に公表してきた告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジが2019年4月11日に逮捕されます。
スウェーデンで26歳と31歳の二人の女性と恋人を交えた4件の性的関係に関連して「寝ている相手に性行為をした」「体重をかけ押さえつけて性行為を強要」や「合意に関してコンドームによる避妊を行わなかった」などで犯罪だとしとも国際指名手配されるにもやや無理矢理感のある訴状でした。
トランプ大統領とゼレンスキー大統領の接触
数々のプライベートなスキャンダル*も併せて乗り越えたトランプ大統領の任期もあと1年半ほどに迫った2019年7月25日、ウクライナ大統領選で劇的な勝利を飾ったゼレンスキー大統領との電話会談の内容へ"新たな疑惑"が生じます。
*ポルノ女優との交際や口止め料など
およそ1年後に迫った2020年アメリカ大統領選挙で大統領という権限を利用して政敵である民主党の有力候補者の一人であったオバマ政権での副大統領ジョー・バイデン氏とその息子ハンター・バイデン氏について調査を依頼したという疑いです。
確かに電話協議記録を観ると、トランプ大統領はゼレンスキー大統領との電話会談において検事解任やバイデン氏が副大統領時代に息子ハンターの関連する会社のために訴訟をもみ消そうとしたことに対する調査を依頼しています。
しかし電話会談に先立って、トランプ大統領は自らの権限でウクライナへの軍事支援の予算を打ち切っていたと主張しました。
このウクライナへの軍事支援予算は2014年のユーロ・マイダン革命、クリミア併合、ドンバス2地域の独立宣言と内戦(以下ウクライナ騒乱)に伴ってアメリカオバマ政権(民主党)が打ち出した経済支援でした。
2014年のウクライナ騒乱…当時のオバマ政権は、「ウクライナの将来はウクライナ人が決める」という自己決定権やロシアの侵攻に抵抗することを思想的原則として重視。
アメリカは2019年までに総額15億㌦(1,600億円)もの軍事支援を行い、ウクライナ軍の時代遅れな仕組みや動き方の近代化や兵士の訓練に使われてきました。
トランプ政権とバイデン政権の外交戦略の違い
しかし「アメリカ第一主義*」を掲げるトランプ政権に代わってからはこうした積極的な支援は次々と打ち切られていきました。
トランプ政権(共和党)はオバマ政権のNATO(欧州)重視、TPP加盟*、脱温暖化・脱炭素社会の進めてきた方針を一変させました。
(そしてバイデン政権が誕生して2021年から再びそこに大部分が回帰したとも言える)
TPP・環境問題の国際的取り組みからの離脱やNATOよりも成長が期待されるアジア地域では日米関係を強化、台湾を「一つの中国」として認めない、中国の一帯一路構想と真珠の首飾り戦略をけん制するインド太平洋構想を中心に日米豪印によるQUADを結成。
このアジアシフトは冷戦期を含むアメリカにおける歴史的大転換でした。
脅威だったソ連が崩壊して25年が経ち、もはやロシアはアメリカにおける驚異ではないとの判断だったのでしょうか。
NATOそのものを解体するとまではいかずとも、その軸足は着実にアジアに向けられていました。
これだけが理由ではないとも考えますが経済面で考えても、もはや高齢化率が20%に迫るEUや26%を超えた日本は長期的に考えて経済の縮小が起こる事も十分考えられる水準です。
また特に経済力という点では急成長する中国が米国GDPの78%超まで伸び、ここで押さえておかなければロシアの軍事力以上に脅威となる懸念が既に待ったなしのところまで来ていました。
急進的で突拍子もないことを言い出すトランプ大統領は諸外国にとっても頭の痛い大統領でしたが、民主党にとっても、また共和党にとっても頭の痛い大統領でした(* ´艸`)クスクス
基本的な立ち位置はアメリカ建国の理念の一つである個人の自由を掲げる保守政党:共和党寄りなのですが、いわばホワイトハウス・共和党・民主党の3派閥で牽制や対立をしながら舵取りが行われてきたようなものです。
アメリカから観ても、中国の存在感が増す中ではもはや待ったなしのところまで来ていたという点ではこのアジアシフトはアメリカにとっても重要な外交政策の転換だったと言えます。
その一方でトランプ大統領とプーチン大統領の間でどんな駆け引きや密約があるのかわかりません。
NATOという軍事同盟を持続する根拠が今でも対ロシアであると考えると、クリミア併合などで混乱をするウクライナ情勢に対してロシアを野放しにすることの危険性は十分に理解できていたはずです。
しかし結果的にウクライナへの支援が縮小したことによって、ウクライナとロシアの領土問題はこの時期にロシアを利する方向に傾いたと言えます。
「ウクライナゲート」それぞれの疑惑
トランプ氏の2016年大統領選挙における選挙対策本部長(2か月間)を務めたマナフォート氏は、ウクライナの"親ロシア派"政党から袖の下を受け取っていた可能性を示す資料が浮上したことで辞任。
トランプ陣営はウクライナ当局者が民主党候補だったヒラリー・クリントン氏を不当に支援していたと主張。
「ウクライナゲート」で最大の争点となったのは、民主党にとっては「バイデン親子がウクライナで何をしたのか」であり、共和党にとってはトランプ大統領が「権力を濫用」して政敵を蹴落とす材料を探ったのか、また弾劾を避けるために「議会の妨害」をしたことにあたるかという二極を持っています。
大統領任期も残すところあと1年に迫った2020年1月~2月にかけて、トランプ大統領の最初の弾劾裁判が行われましたが、無罪評決。
この結果を受けて翌日ホワイトハウスで演説を行ったトランプ大統領は自身の失脚を狙い"腐敗した"試みが展開された、と民主党を非難しました。
世論調査によるとトランプ大統領の無罪評決への指示は43%、反対41%、保留17%だったとされています。
ジョー・バイデンという政治家
さて、ところでジョー・バイデン(ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア)とはどんな政治家、人物なのでしょうか。
ここではアメリカ大使館の『アメリカンビュー』からの引用と抜粋で彼の経歴をざっと紹介したいと思います。
彼は副大統領に就任するおよそ2年前、2007年に自伝『Promises to Keep: On Life and Politics』を出版しています。
この中で自分の人生を振り返り、こう述べています。
バイデンは1942年にペンシルベニア州の労働者階級が多く住むスクラントンの、あまり裕福ではないカトリック教徒の家庭で育ちました。
父は自動車販売の仕事、母は専業主婦だったとされています。10歳の時に家族は生活が苦しく、デラウェア州に移り住みます。
やがて成長したバイデン青年は、ニューヨークの大学で法科大学院を卒業し、家族で最初の大学学位を取得することが彼にとってもまた家族にとっても誇りでした。
1972年、29歳でデラウェア州から連邦上院議員に選出され政界デビュー。
しかし上院議員就任の宣誓を目前に控えた数週間前に、クリスマスツリーを買いに出かけた妻と娘を自動車事故で失います。
同じくこの事故に巻き込まれた二人の幼い息子は、命を取り留めたものの重傷を負い、シングルファーザーとして家族の助けも得ながら議員としてデビューします。
子どもたちの傷が癒え、バイデンは1977年にジル婦人(高校教師)と再婚、娘をもうけますが、再びバイデン自身に不幸が襲います。
1988年に脳に2か所の動脈瘤があり、命に関わると診断されたのです。
回復には時間がかかり、苦痛が伴い議会を七カ月欠席したがその間殆ど寝たきりの状態だったといいます。
回復を果たしたバイデンは、その経歴や家族の悲劇など庶民の痛みの分かる苦労人として共和党議員からも好感を持たれ、党派を超えて活動していましたが、その政策や価値観からはリベラルを好む民主党支持者からより手厚い支援を受けます。
上院議員での最初の数年間は国内問題に注力し、市民の自由、法の執行、公民権に力を注いだとされています。
1975年に司法委員会の委員となり、1987年から1995年までは同委員会の委員長を務めました。
この時期、彼の草案した画期的な「女性に対する暴力法」(1994)によって、性に起因する犯罪に取り組むために連邦資金から数十億ドルの拠出を果たします。
しかし型通りのリベラルには同調せず、薬物関連の犯罪の取り締まりに対してより厳しい量刑を支持したり、公民権を推進する一方で、強制バス通学*には反対の立場を取るなどをしていました。
上院議員時代の最期の二年間にバイデン氏に投じられた票の内、96.6%は民主党支持者からの票だったとされています。
左派メディアとして知られるニューヨーク・タイムズの紙面ではバイデンは「リベラルな考え方を持った国際主義者として広く知られている。外交の必要性を強調したが、時には軍事圧力を使うことも辞さなかった」と評価されました。
バイデンは外交面でも活躍を見せます。1975年から上院外交委員会の委員にもなり、2001年から2003年、更に2007年から2009年まで同委員会の委員長を務めます。
2004年にイリノイ州上院議員から合衆国上院議員に選出されたバラク・オバマと共に外交委員を務めたことがきっかけとなり、お互いを良く知るようになります。
しかしオバマとバイデンはある外交政策において決定的に意見が分かれることがありました。
それは米国がイラク侵攻(2003年)を承認する乗員の最終決議案について、バイデンは賛成を投じた一方で、オバマ議員は反対を表明します。しかし2005年にバイデンは賛成票を投じたのは間違いだったと表明。
1988年、2008年の大統領選挙へ立候補をしますがいずれも撤退。
2009年にオバマが大統領に就任し、バイデンを副大統領に指名した際には「外交政策の専門家であり、その信条と価値観は中流階級にしっかりと根差している」と評価し、「大きな影響力を持つブッシュ・マケイン外交の批評家であると共に、テロリストとの戦いを新たな方向へ導き、イラク戦争を責任ある終結へと向かわせることを支持する発言者でもある」と語りました。
(イリノイ州スプリングフィールドでの共同会見)
上院外交委員時代には世界各国を訪れ、多くの外国の首脳のみならず、ナンバーツーや側近、更には反対派勢力の指導者と共に密接な関係を築きます。
軍縮、核拡散、NATO拡大、超大国の対立、そして米国と第三世界*との関係。更にはグローバル・エイズ・イニシアティブを強力に推進するとともに、2000年頃から炭素などの温室効果ガス排出を巡る国際的な取り組みを早くから支持していました。
こうして振り返ると決してアジア地域を軽視していたわけではないことも観えてきます。
しかしバイデン自身が自伝で振り返るように外交政策においての功績は、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島で起きたコソボ紛争を解決するために、ビル・クリントン政権にNATO介入を促したのはバイデンでした。
このNATO介入によって大きく評価を挙げたバイデンとって紛争解決は成功体験、または多くの犠牲を出したと批判されたトラウマの払拭という意味合いもあるのでしょう。
2021年1月20日にバイデン氏は大統領に就任して、同年8月31日はアフガニスタンから米軍を完全撤退したのも今となっては中東情勢においてもロシアにとっても中国に対しても裏目となってしまいましたが、紛争終結の実績を早くからアピールしたかった狙いがあったのではないでしょうか。
2016年の大統領選挙へも出馬を予定していましたが、自身の後継者として期待していた長男ボー・バイデンが脳腫瘍で46歳で他界。
選挙戦を戦い抜ける状態ではないとしてオバマ政権で国務長官を務めたことのあるヒラリー・クリントンが候補者に白羽の矢が立ちます。
そして3度目の正直として出馬した2020年大統領選挙で現職のトランプ大統領と争った選挙戦に勝利し、2021年1月20日に大統領に就任をしました。
次回はバイデン大統領がウクライナ危機に際して派兵を行わない背景と、ウクライナ"疑惑"と呼ばれるトランプ大統領とゼレンスキー大統領との電話会談について触れたいと思います。
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