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2023/11/24台湾に留学に来て感じたこと
こんにちは。VOEKEN channel のKenです。と、Youtubeでの自己紹介をしつつ、noteの方では自分が思ったことをあまり人の意見を気にせずにありのまま書きたいと思います。普段はYoutubeでは視聴者から見て面白いことをコンテンツを作ろうと思って、発信していますが、ここでは自分が思ったことを素直に書くので、面白くないことの方が多いと思いますし、それ違うんじゃねと思うようなことも書くと思います。いわば自分の内省用の日記のようなものに近いと思います。
だったら自分の手帳でいいじゃないかと言う意見は至極真っ当だと思いますが、心のどこかには自分の気持ちを誰かと共有したいと思っている自分もいまして、とてもわがままなのは百も承知なのですが、noteというツールを使って自分の思いを記録していきたいと思います。
留学に来て3ヶ月きて、今感じていることを思ったまま、にかき下ろしますね。
僕は、今まで、どちらかというと友達関係、人間関係において狭くて深い交友関係を築く傾向にありました。その結果、今僕の周りにいる友人はとても大切な友達ですし、幸いなことに何かあった時にはなんでも相談できる気を許せる友達がいます。だから留学に来る前はそれで十分だと思っていたし、自分は幸せだと思っていました。そして、今もそれは幸せで大変、恵まれていることだと思います。
また、成長という文脈において、全ては自分と向き合うことだと思っていました。だから、中学、高校時代、大学時代も、勉強(新しいことを学ぶ、知る)ことにおいて、重要なのは自分で本を読んだり、インターネットで調べたりしながら、自分だけで身につけていくことだと。もちろん、このようにして得た知識は今となっては自分のかけがえの無い財産となっています。中学、高校においてはそれで十分でしたし、そこで何か詰まることもないでしょう。
(脱線)
学校から、与えられたものを学習して、学校、国のシステムから与えられたテストをうまくこなしていれば、ある程度の評価を得ることはできますから。そしてそれは基礎的な思考力をうむ上では欠かせないと思っています。たまに小学校、中学校、高校不要論を聞くことはありますが、多くの人にとって公的機関による教育は基礎的思考力を育む上で必須だと思います。社会が機能するためにもね。そして、近年出てきている、新しい形の私立の学校はオプションとして大いに価値がある。異能を育てるためにも。子供に他の選択肢がある状態を作るためにも。
ですが、やはり大きな枠組み(普通、秩序?)があることによって、異能や才能は輝きますから、社会全体で捉えたときに公立の学校、教育精度がもたらす恩恵は計り知れないと自分は思います。
話を戻すと、今までは一人で何かを勉強すること、一人で学ぶことで事足りていた。近年では、インターネットの発達によって一人で学べることもどんどん増えている。ましてやchat-gptなどの登場によって、世界で一番優秀な家庭教師をみんなが持っているような状態なので一人で新しい知識を得る学ベルことは無限大ですね。自分の中の世界を広げることはいくらでもできます。
しかし、いくら自分の中だけの世界を広げたとて、それだけじゃもったいないと僕は思うんです。その広げた世界を他の人と共有したり、共創することによって、僕たちは思いもよらない世界を作ったり、知ることができると思う。また、自分自身もそれによってまた進化できる。
例えば留学生活を例にとってみましょう。
僕は台湾に留学に来ているのですが、日本の大学で10ヶ月中国語を勉強してきたんですね。でも、中国語があまりにも伝わらなくて、やべぇって思って、勉強しなきゃって思って自分で勉強しなきゃって思ったんです。そして図書館にこもって勉強しようって思って、友達と交流を全くしていなかったわけではなかったんですが、自分から友達を誘うこともなく、時間があれば図書館に行って勉強をしてました。最初の頃はね。多分自分が一人暮らしをしていたら、こんな生活をずっと続けていたんでしょうね。この頃の自分の考えは、ある程度、中国語を話せるようになってから中国語の友達を作ろうとか、また英語を勉強しなおして、できるようになってから留学の友達ともっと深く関わろう(交換留学できていると多くの場合最初は留学生用の授業をとる、そのため現地の学生よりも留学生の友達ができやすい。)とか。外国語という側面において、自分で勉強してできるようになってから、もっと深く関わろうとしていたんです。例えば話しかけられたきも簡単な会話(自分の知っている言葉でできるような会話)で済ませて、それ以上先の話題に進まなかったり、進めなかったり、自分の力でできる範囲の会話で終わらせるようにしたりね。
でも、何かをやるときに自分が完璧な状態で臨めることなんてないし、もしそうだとしたら、それは自分のコンフォートゾーンにいる、つまり自分が現状できることの中で行動しているということですよね。何かできるようになってから、何かをやるってことは、できない自分から逃げているだけでなと思ったんです。
留学に置き換えると、外国語ができるようになってから友達を作るのではなく、言語はできないけど、とりあえず仲良くなりたいと思ったら、仲良くなろうとしてみる。(誰でもいいわけじゃないからね)。誰かと仲良くなることに関して言語は大事な要素の一つだけど、必須じゃないと思います。実際、とても恵まれていると思うのですが、僕の周りの人は自分の拙い中国語、英語でも理解しようとしてくくれるし、向き合ってくれている。本当に感謝しかありません。だから、これがやりたい
、こうなりたいと思ったら、まずやってみる。その環境に飛び込んでみる。そして、色々うまくいかないこともあるけど、その中で一生懸命もがいてみる。自分と向き合ってみる。それが大事な姿勢なんだなと留学に来て感じました。
そうしていると、自分一人だけでは知ることができないような世界に出会ったり、自分に出会ったりするんです。そういう意味で、オープンでいることの大切さをこっちに来て身をもって学びました。これを知ることができたのは、周りの方のおかげです。
自分の思ったことをそのまま書いたので、めちゃくちゃな部分もあると思いますが、勘弁してね。