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なぜ働くのか答えが見出せなくなったし、目標を決めて動いているけど足りない③

この「なぜ働くのか答えが見出せなくなったし、目標を決めて動いているけど足りない」はシリーズになっています。初回の記事は以下のリンクから読めます。

はい、というわけで、第3弾の今回は、ライフワークを超えて、情緒の面に仕事の意味があるのかもしれないということを書こうと思います。僕のライフワークは、言語の新しい理論をつくって、教育に実装して、辞書を作ることであるというのが、これまでの記事の内容でした。でも、その先に人々へ変革を起こしたいと思います。そんなことを以下に書きました。


働くことは、誰かを元気づけること

働くことについて、改めて考えることがある。多くの人にとって、働くことはお金を稼ぐ手段である。つまり、世の中の多くの人は、ライスワークをしているということだ。それは、生活の基盤を支える行為だ。もちろんそれは間違いではない。けれど、それだけでは働くことの本当の意味を見逃してしまう気がしてならない。

最近、ふとしたきっかけで「働くことは誰かを元気づけること」という視点に気づいた。英語の授業をしていたとき、生徒からこんな言葉をもらった。

「先生と話すと、元気が出ます。」

その一言が何よりも嬉しかった。今まで、合格しました、という報告は星の数ほど聞いてきたが、この言葉は何気ない言葉だったのか知らないが、言われた側は嬉しかった。

授業をしているときは、どうしても内容や進行に意識が向いてしまう。相手に元気を与えるとか、励ますとかなんて、大それたことを考えたことはなかった。でも、その言葉を聞いて初めて気づいた。

働くことそのものに、誰かを元気づける力があるのだと。

元気づけることは特別なことじゃない

誰かを元気づけると言うと、大きなことをしなければいけないように感じるかもしれない。でも実際は、ちょっとした言葉や行動が大きな力を持つことが多い。例えば、相手の話にしっかり耳を傾けるだけで、その人は「自分の存在を認めてもらえた」と感じることがある。

授業中に生徒が間違えたとき、「ここが惜しかったね。次はこうしてみよう」とポジティブなフィードバックをすると、次へのやる気につながる。
逆に、「これじゃダメだ」と突き放してしまうと、その後のモチベーションは大きく下がってしまう。言葉ひとつで相手の気持ちは大きく変わる。働く現場でも、それは同じだと思う。

ただの挨拶でもいい。「おはようございます」の言い方ひとつで、相手の一日が変わることだってある。何気ない行動の中に、人を元気づける力は隠れている。

自分が元気でいることも大事

相手を元気づけるためには、まず自分が元気であることが大切だ。残念ながら、私にはこの視点はなかった。正直なところ、忙しさに追われていると、相手のことを考える余裕を失うこともある。これでは、ダメだと思う。私自身、そういうときには「自分はただ作業をこなしているだけではないか」と感じてしまうことがある

そういうときは、あえて休むようにしている。お気に入りのカフェでコーヒーを飲む時間を作ったり(そしてそのカフェに紙媒体の論文を持っていく)、散歩に出かけたりして(そして、研究アイデアが1つ出るまで散歩する)、自分の気持ちを整える。自分が元気を取り戻すと、不思議なことに、他人のことを気遣う余裕が自然と戻ってくる。

働くことの本当の意味

働くことは単にタスクをこなすことではない。目の前の相手を元気づけることで、その人の未来を少しでも明るいものにする可能性がある。そして、その小さな変化が、さらに周りに波及していくかもしれない。

「働く」という行為は、目に見える結果だけがすべてではない。見えないところで人の心を動かし、やる気を生み出す力がある。それを意識して日々を過ごせば、働くこと自体がもっと楽しく、意義のあるものに感じられる。

だからこそ、どんな仕事であっても、そこに「誰かを元気づける」という気持ちを込めていきたい。そうすることで、自分自身の働き方もまた変わっていくのだと思う。

これが「働く」ということの本当の意味ではないだろうか。少なくとも、僕は働くことで、自分と関わっている人に希望を与えたい。もちろん、どこの誰かも知らない人の笑い声を作るのも良い。でも、そのためには、自分が元気でいるという大前提を忘れてはいけない。

そう思うと、僕の仕事は英語云々よりも、誰かの「笑顔を作る」ことではないか、と思う。その手段として、英語がある。辞書がある。研究がある。そう思う。自分起点で、他人視点。自分の笑顔を作って、他人の目線で物事を語り、聞き、笑顔を作ること。それが、英語を通した、僕の仕事だ。

やっぱり、僕は仕事が好きだ。ライフワークを多くの人に届けたい。


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