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足りない芸術:ぺしゃんこりー
茶番
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この光景を皆さんも一度は見たことはあるだろう。街中で見かけるゴミたちの小さなジャングル……。この大氾濫の原因は、ただ一つ。
潰されずに入れられたペットボトル・缶
潰さないと入る量が少なくなっちゃうよね。
ところで、
皆さんは ポイ捨て をしたことがあるだろうか。
(無いといいな)
割と色々落ちているものである。
タバコとか、ガムとか、缶とか、エトセトラ。
試しに見つけ次第、写真を撮ってみよう……。
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!?
お前、潰れてるじゃないか!!
あとはゴミ箱に入れられるのを待つのみ……。
お前は立派な模範囚だ。
そんな君が何故こんなところに。
これってさ……
街中で投棄されたにも関わらず、律儀に潰されている缶・ペットボトルたち。
この子たちが、今ここに至るまで。
つまり、その缶生・ペットボトル生に至るまでには、大きく2人の人間が携わっていると言えよう。
・なんか捨てやがった奴
・なんか踏みやがった奴
この2人だ。
あの小さな無数のゴミの命にさえ、2人の人間が大きな影響を及ぼしているのだ。
なんかドラマチックじゃないか。
足りない芸術:ぺしゃんこりー
ここで、私は芸術として定義したい。
「捨てられる」以外の、ゴミとしての
全ての要素を満たしたエリートゴミを。
その名も「ぺしゃんこりー」。
早速、
勝手に背景を類推し、
勝手にその生に思いを馳せ、
勝手に美しくしていこうじゃないか。
本編
①中身の残ったペットボトル
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キャップとの分離とラベルの残存、中身の残留と捨てられるのを待つ姿の対比構造が美しい作品である。
今が夏のような暑さであることを考慮すると、
「貼る(ラベル)」
「夏」
「飽き(中身の残留)」
「不行(潰されながらも捨てられずにいる姿)」
以上の4つの要素から、四季を体現していると言えるだろう。
②完璧な缶
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この潰され方は、缶界隈では最も名誉なものとされる。いちばん体積の小さい体勢だから。
しかしながら、彼は有終の美を拒んだ。
他の缶たちが、ただ当然のこととして、頭の中まで空っぽにして死へ向かっていくのとは違って。
缶も、人と同じく「死」を恐れるのだ。
それがどれだけ名誉なものであろうと。
恐らく、作者はこのようなメッセージを作品に託したのだろう。昨今、西洋化によって冒涜されつつあるアニミズム的思想への回顧。ノブレス・オブリージュへのアンチテーゼ。
「踏む」という単純な行為に、これほど奥深いメッセージを込められるのか……!!
題名の「とみて」とは「富みて」と「虚」とのダブルミーニングである。虚とは、二十八宿において水瓶座の星を指す。缶と言えど人と同じく、名誉ばかりに富んでは虚しいばかりなのだ。
③悪質に投棄されたペットボトル
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これは、捨てた者と潰した者とが同一である稀有なパターンであろう。
容易に潰れるペットボトルと潰れ得ない瓶。
無作為にあるペットボトルと整然と並んだ瓶。
生い立ちも性質も違う彼らが、共に最期の時を待つ……。なんと美しい友情だろうか。
できることなら、彼らには来世ではずっと隣で笑いあえるような生であってほしい……。
いずれにせよ、こんなにも悲しい作品は是非ともこれっきりであってほしいものだ。
④完璧なペットボトル
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ラベルも、キャップも、中身もなにもない。
完璧な装いで完璧に潰れている。
死に臨む意思までも澄みわたっているようだ。
この作品はまさしく、純粋の権化。
嗚呼、これはきっと誰かの遺作だろう。
今はただ、作者の安寧を祈るばかりである。
最後に
ぺしゃんこりー、如何だっただろうか。
ゴミと常々形容される彼らも、ぺしゃんこりーの窓を通して見れば様々なストーリーが見えてくるのだ。
くれぐれも観賞に留め、製作者とならぬよう注意して今後も楽しんでいただきたい。
また、これは私の持論だが、
ぺしゃんこりーは、
常に刹那的でなければならない。
今回、私が紹介した作品が芸術であるために、二度と観賞することができなくなってしまったことをここでお詫び申し上げます。