今回この話と彼が病気だった頃の話を書くことについて何度も悩んだ。 書きたいことではなかったし、書いていいことなのかわからなかった。 しかし、私のこの2つの経験はだれかの痛みに繋がっているかもしれないと思い書くことにした。 両方の話に時期などから特定されないように少しだけフェイクを入れたので時系列が少し合わないところもあるかもしれないが、年齢やほとんどの部分は事実のままです。 この2つの話は私の後悔であり、痛みであり、一生個人的に向き合っていく問題ですが、社会にある問題でも
検査結果を見て彼に連絡をし病院を探した。 少しずつ集めた情報から陰性は間違いの可能性があるが、陽性だと間違いの可能性はほとんどないから病院に行くしかないとわかっていた。 できるだけ寮や大学から遠く中絶ができるところ。 私にはその選択肢か考えられなかった。 彼のことはとても愛しているが、今産んで一緒に育てるという未来は全く見えなかった。親にも言えない。多額のお金を出して信用してくれていた親を裏切って大学を辞めて将来を脅かすことはまず無理だと思った。 つわりも違和感も胎動も何も
これは懺悔ではない。 許されるとは思っていないし、誰に許しを求めているのではないので批判をするのは勝手だが私が本当に伝えたいと思っていることにフォーカスをするのも忘れないで欲しい。 これは私が犯して今も償おうとしている罪で1人でも同じことをしないために書く。 私は優等生だった。学校もちゃんと行っていたし、成績も平均以上、友達も少なくはなくて部活も生徒会も頑張っていた。家では弟と妹がいて年が離れていることもありよく遊んだり勉強を教えたりしていた。両親にもよくしてもらい
1年半付き合った恋人に「殺して欲しい」と頼まれた。 「死にたい」「殺して欲しい」 深夜にひっきりなしにLINEが鳴り私は泣きながら 「好きだよ」「死なないで」と返す。 そんな毎日が半年は続き彼はいつか本当に死んでしまうんじゃないかと私は疲弊し切っていた。 別にこれは彼の苦しみをメインに話題作りにしたいわけではなく自分の苦しみの成仏と同じ様な体験をした人と少し痛みを舐め合いたいという記録です。 私は19歳だった。彼も19歳だった。 お互い大学生同じ学校、ちょっと揉めたり