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身体が硬いわたしが床に手のひらがつくようになったわけ
走ることが当たり前になった50代のはじまり。
走りはじめた理由のひとつに「ヨガ」があります。
そんなわたしのヨガの話し。
ヨガの話しの前にひとつ。
わたしは身体がとても硬い。自慢できるくらい硬いのです。
どれくらい硬いかと言うと、体前屈測定で地面から20cm上までしか曲がらなかったくらい硬い。
生まれてこの方、床に指が触れることなんか一度もなかった。
身体が柔らかそうな小学生の頃ですら着く気がしなかったのです。
とにかく硬い。
そう思い込んでいました。
そんな身体が硬いわたしが随分と前に「ピラティス」をやってみたことがあります。
いつだろか?45才頃だろか?
週に一度。
結局3ヶ月しかやらなかった。
「ピラティスはわたしには合わない」とやめてしまったのです。
呼吸からはじまったピラティスの教室。
呼吸は何となく理解した。
したけど先生が言う事ができなかったのです。
「んー、身体が硬いからかな?なんだか、わたしには合わないかも」と言う感覚が参加する度に大きくなったのです。
今、考えるとしっくりこない理由も分からなかったから、気持ちを納める為に「身体が硬い自分には合わない」としたのだと思うのです。
きっとあの時であればヨガでもそう思ったと思います。
身体が硬くて忙しい45才のわたしはどんなことでも「自分には合わない」と終わらせていたと思います。
そんなわたしがコロナ禍が始まってすぐにやったのがヨガでした。
ヨガをやろうとした訳ではなく、定期的にやってくる「ギックリ腰」に備えて何かやってみようとYouTube検索をしていた時に出てきた動画がたまたまヨガだったのです。
時間はたっぷりあるので、とにかくいろんな人の「腰痛改善」「骨盤矯正」をやってみたのです。
毎日1時間から1時間半たっぷりと。
最初はこんなにも硬いものなのかと自分の身体にがっかり。
毎日毎日がっかりしながらも、ああだこうだと色々試しながらやっていました。
わたしの大好きな漫画「ハイキュー」のフレーズに「限界を越えるんじゃなく、限界値を上げていこう」と言う名言があります。
それを脳内反復してヨガを身体に染み込ませていきました。
毎日ちょっとずつ本当にちょっとずつ、わたしは自分の限界値を上げていったのです。
気持ちよく身体が伸びる事を繰り返していたら、どこが伸びているかがわかってきて、骨がどう連なって筋肉がどうついてるか、身体の仕組みを感覚的に理解していきました。
「腰」と認識していた部位は背中や脇腹とも、もちろん太ももとも繋がっていることを理解しました。
身体が繋がっていると言う感覚はとても新鮮でした。
それを認識してから、わたしの身体はどんどん変わっていき、柔らかくなっていったのです。
いや、柔らかくなったと言う表現は適切ではなく、曲げる所をちゃんと認識できたのだと思うのです。
身体の仕組を認識すると適切なところで体を曲げることができ、ちゃんと前屈できるようになりました。
骨盤の後傾を直し、太ももの付け根から折り曲げ、身体の裏側全体を伸ばすと、上半身がぐっと下にいくことをお知りました。
この頃に骨盤が後傾していることも理解したのでした。
不思議なもので変わり始めると今の身体に足りないものが見えてくる。
「筋肉質になりたい」と言う漠然とした思いから、「ここに筋肉を付けたい」に変わっていきました。
「三日月のポーズ」をできることはできるが安定しないから太腿を強化する。
と具体的になってきたのです。
ヨガをすることで自分の身体が見えてくる。そんな感覚でした。
ヨガをやり始めて今年で5年目。
今は前屈で手の平を床にぺたりとつけることができるようになりました。
そういえば、ぎっくり腰の症状も出なくなっていましたよ!
とは言え、確実に治ったなんて思ってはいません。
50代のわたしが10才若返って劇的に超健康にはならないと知っています。
じんわりとした膝の違和感みたいなものが忘れた頃にやってきたり、背中がどんよりと重い日や、顔に艶がなく、いけてない日も多々あるのですから。
そんな日があっても気にせずヨガをやる。
淡々と淡々と体に染み込ませてくのです。
走ることは心と身体の足並みを揃えること。
ヨガは自分の今の身体を受け入れる時間です。
今日も昨日と同じくらいの身体でありますように。
と、リセットするヨガ時間。
毎朝40分、今日の自分の身体の声を聞く。