父似のち、母似のち、自分になる。
わたしは父に似ている。
「橋の下から拾ってきた」と言うひどい冗談にも「そんなことはないだろ。だってこんなに似ているのだから」と小さな頃から思っていた。
顔の形やパーツなどはもちろん、骨格や骨の太さ、身体の薄さ具合まで父親譲りだと自覚している。
それはコンプレックスでもあったのだけど、いつからか受け入れられるようになっていた。
そんなこんなで40年生きて来た頃、近しい人たちに「お母さんに似ているね」と言われるようになったのだ。
ふとした表情や、立ち姿が似ていると言うのだ。
なな、なんと!
この40年父親に激似だと言われ続けていたのでちょっとびっくり。
でも確かにそうかもしれない。
夜に鏡を見ると映った自分が母親と被るのだ。
目の回りの窪み方や頬の垂れ具合、毛穴の広がり具合など母親と同じ。
皮肉なものだ。老化が母に似せていく要因だなんて。
思ってもみなかったな。
その母がここ数年、会うたびに痛いところ自慢をしてくる。
最初は「うんうん。そうだね、大変だよね。」と相槌を打っていた。
打っていたけど、あまりにも不調が多く不安になる程。
母親のことももちろん心配だ。
それとともに、ここ十年で母に似て来た自分を母に重ねてしまうのだ。
わたしもこんな風になるのかな?
母に似ることが怖い訳ではない。
母の不調にわたしも思い当たることが多いから怖いのだ。
「身体が思うようにがんばれなくなってきた。」
その時期と「母親の痛いところ自慢」がわたしに追い討ちをかけたのです。
奇しくも時期は「パンデミック」
今思えば更年期の入り口だった。
続く。
写真は全く関係ないけどおやつのドーナッツ。
ドーナッツとコーヒーってやっぱりいいよね。
最高の組み合わせ。