母が残した二つの贈り物
幼い頃、天然パーマでからかわれたり、時にはいじめだと思うような出来事があり、母が私に言いました。
「挫けるんじゃないよ」
そして、こうも言いました。
「何もおかしくない。可愛い。」
どこかで掛け違ってしまってボタンが、そのまま母との別れになってしまったけれど、母との思い出や、母との生活は今も私の命を繋いでくれています。
母が残した二つのものをご紹介します。
一つ目は、母の4人の孫たちへの贈り物です。
孫が生まれてからそれぞれの孫の通帳を作り、毎月毎月貯金をしてくれていました。
母がいつも同じチェックのシャツと、茶色のズボンを履いていました。
そのような質素な母が貯めていてくれた孫達への貯金通帳は、母が亡くなった後に、父が孫が20歳になったら渡そうと思っていたと聞きました。
私の二人の娘も20歳になりました。
今年84歳の父が20歳になった次女に母からの贈り物を渡してくれました。
私も娘も、母と会わない時期が何年か続きました。
それでも、母はこの通帳に貯金を続けてくれていました。
毎年、孫の進級や進学の月には、「5年生おめでとう!がんばれ。がんばれ。」そのように書いてありました。
私は病気になっている母を知りませんでした。
シングルマザーになって、ひとりで二人の子どもを、育てている時、なぜ助けてくれないのか。大晦日の夜、体調も悪く何もできない私は寂しく親子で何年も過ごしてきました。きっと、母は父や私の兄弟と楽しく過ごしている。そう思うと少し恨んだりしたこともありました。
でも、この通帳に込められている、母の亡くなるまで続けてくれていた思いは、私の娘たちへのかけがえのないメッセージであるとともに、私の母への誤解がなくなったように感じました。
そして、寂しかったのは私だけじゃなかった。闘病中も一度も私と娘達に会うこともなく亡くなった母の気持ちを考えると、言葉には言い表せない気持ちでいっぱいになります。
そして、二つ目に母が残してくれたものは、私が幼い頃に母が残してくれたものです。
個人的な物ですが、紹介させていただきます。
60年近く前のもので、私が落書きしてしまっているようですが、1歳9か月でお話できる言葉を記してくれていました。
そして、父の顔を書いた絵を取っておいてくれました。3歳6ヶ月に書いた絵です。
これは、私が間違いなく愛されて育てられた記録であり、私を絶望の淵にある時にも、これらの記録が私を救い上げてくれました。
母が残してくれた二つのものは、母が描いた未来と、私たち家族の未来が繋がっていることに気がつきました。
母は、二人の我が子の20歳のお誕生日までは生きられなかったけど、長女の大学の卒業式の日に、父が「これは、おばあちゃんから半分、おじいちゃんから半分だよ。」と、にこにこと笑いながら、小さなピンクとオレンジの花束を、美しくなった袴姿の長女に渡してくれました。
母が想像もしていなかった未来、そして、私も想像していなかった未来。
いまこうやって生きている今を未来に繋いでいきたい。
そう思っています。
あなたの小さな娘はここまで生きてきました。
それは、あなたの愛が繋いできた命です。
いつか、また、どこかで会えるといいですね。
お母さん。