「36年間の愛と手芸:祖母の人生と、祖父を介護しながら作った作品」
この写真は、私の祖母が祖父の介護をしながら作った手芸品です。
祖父は86歳、祖母は84歳で亡くなりました。二人三脚で生きました。
祖父の話しは少し触れています。
興味のある方はこちらをご覧ください。
①36年間祖父の介護をした祖母
労災で首から下が全麻痺になった祖父を、たった一人で祖母が46歳から80歳まで介護しました。
毎朝、ベッド上で排便をして着替えて車椅子に移乗して、食事の介助、排尿等全ての介護を祖母が行いました。
夜寝る前もルーティンがあって全て祖母が行いベッドに寝かせます。
祖父は毎日必ず起きて車椅子に移乗して夜8時頃寝る時だけベッド上にいます。晩年介護保険を利用しましたが要介護度5でした。
小さな祖母の体と手は祖父の命を預かり、手や足になり祖父の人間らしい生活を支え続けました。
そんな生活も36年間。
祖母が祖父のお棺に向かって、「じいちゃん。もう治ったんだよ。」何とも言えない気持ちです。
亡くなった祖父の顔は日に日に美しく頬や唇が高揚していきました。
苦しみから解放された祖父の顔は本当に穏やかでした。
②いつも近所の人たちが集う場所
曽祖母が亡くなり、叔母がいましたが結婚して祖父母は二人暮らしになりました。
近所の友人達が入れ替わり祖父母を訪ねてきます。
お茶飲みが毎日続きます。
昔の当たり前だった人々のコミュニティでした。
私が幼い頃は人が集まると祖母は夕方から手拍子で民謡を歌います。
お酒は飲みませんが宴が始まるのです。祖父は車椅子に座ってそれを見ています。
③祖母の趣味は庭の花を育て、手芸、散歩をすること
祖父の介護があるので、祖母の外出は買い物と病院、そして晩年の散歩。
趣味は庭で花々を育てること、手芸をすることでした。
祖母は晩年の祖父を留守番させて、朝散歩をするようになりました。
毎日のようにモスバーガーへ立ち寄り、ハンバーガーやシェイクを食べてきます。「今日は〇〇を食べてみた。」と教えてくれました。
庭で季節の花を育てて人々の目を楽しませてくれました。その花で押し花を作っていました。
手先が器用でとても繊細な手芸品をたくさん作りました。
祖父が亡くなり祖母が一人暮らしになっても手芸は続けていました。
写真は着物の生地等で作った手芸品です。全て手で作りました。
傷んでしまいましたが、いくつか紹介させてください。
祖父母の姿が鮮明に毎日私の中に生き続けています。
祖父母の家に遊びに行った帰り、「じゃあまたね。」と手を振って歩き出して振り向くといつまでも祖母が立っています。
もう振り返らないと思っても、また振り向くとまだ立っています。
私が見えなくなるまで、いつまでもそこに立って見送ってくれました。
祖母の愛は今でも間違いなく私を支えてくれています。
祖母が一度だけ考えたこと
祖母は私にだけ教えてくれたことがあります。
祖父が労災で首から下が全麻痺になった時、
「これからどうしたら良いのか分からなくなり、家を飛び出したことがあったの。
タクシーの運転手さんに橋までお願いしますと言ったけれど、橋に近づくにつれ、急に命が惜しくなり、運転手さんに引き返してもらってね。
後にも先にも1度だけそんなことがあったよ。」
祖母を引き止めたのはいったい何だったのでしょうか。
私は36年間介護をしている祖母の姿しか見たことがありません。
私の見た姿は祖母の人生の長いけれど一部分でした。
自分の得意を活かして、楽しみを見つけながら36年間介護をした長い年月を、祖母らしく生き抜いた話しでした。
祖父母の生き様は、私の福祉の原点・モデルとなっています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
私が目指しているのは共生社会です。