アクセンチュア退職まで
2022年3月、自殺未遂したことを上司に打ち明けたら休職させられた。アクセンチュアに転職してわずか5ヶ月のことだった。
もともと心が弱かった。新卒でエンタメ業界を目指して憧れの東映の筆記テストを切り抜けたものの面接がダメで落ちた。新卒で入ったメーカーで海外営業がやりたいと言って営業をやっていたら2年半で吃音になって電話応対もできなくなって病院に行った。メンターについた工場上がりの英語が上手い女性の先輩が怖くて仕方なかった。長岡の田舎で生まれて大学もどこかわかんないけど渡米して帰国して地元の工場で働いてたんだから、めちゃくちゃ苦労して覚悟を決めてこの仕事してんだなってわかったから。怖すぎた。一都六県に生まれてぬくぬく塾に通わせてもらいながらなあなあで受験して留学も行かせてもらってきた自分の生ぬるさが申し訳なかった。
学校でいじめられて不登校になっても塾バフで進学した。県下トップの県立高校でも保健室登校になったけどネームバリューを保って卒業できた。塾バフで大学も現役合格した。
大学は都内の国立大学で、人気のない学部だから入学できたんだと思う。あとは塾バフだった。親が教育に金をかけてくれた。
同期が十数名しかいない学科でも落ちこぼれたけどなんとか卒業できた。今でも連絡を取り合う同期はいない。落ちこぼれは他にもいたけどその男子は努力して三年時編入だか再受験だかで筑波の経済学部に行ったらしい。よっぽど出来ている。そいつとも縁が切れた。
なあなあで留学した。7ヶ月イランに行った。その前に付き合ってた彼氏とは留学を機に音信不通になった。切られた。
留学先でも友達をあまり作らずに絵に没頭した。なあなあで過ごした。
卒業して神奈川県のメーカーに就職した。周りからすると見劣りがするところだった。慶應卒が二人いた。逆に言うと早慶が二人しかいないようなメーカーだった。
そこでも落ちこぼれて病気になった。営業ノルマはクリアして、それなりに実績も積んだ。でもほとんど言われるがままだった。今からすればあのまま転職せずにいればよかった。中途半端な向上心と薄っぺらい観察眼がこの業界ではダメだ、と成長業界であるIT業界に行きたいと憧れだけの転職を目指した。今はそのメーカーは別の事業部が好成績を残し、フルフレックス・リモート主体の働き方になっているらしい。残ればよかった。
アクセンチュアに入社した時は変なエリート意識を持っていた。でも今アクセンチュア時代の同僚も、大学の同窓生も何も連絡を取っていない。アクセンチュアに相応しくない人間だった。
アクセンチュアに行くとそれまでよりさらに仕事の精度を求められていっぺんにボロが出た。研修が終わってから1ヶ月も受け入れプロジェクトが決まらず社内ニート状態だった。その中でAzureとAWSとTOEICのITパスポートの勉強をして資格を取れたのはよかった。今はTOEICの点数すら仕事をしない仕事をしている。
プロジェクトに入ると仕事の粗さと考えの浅さを詰められる日々だった。女性の上長、女性のメンバーと3人のチームで、上長とメンバーが仲良くなって信頼関係を深めていくのを横目で見て常に恐ろしかった。疎外感があった。怖かった。自分だけがまた落ちこぼれると確信してた。
そして落ちこぼれた。ついにプロジェクトマネージャーの男性に口答えをしてしまったのだ。資料のバージョンは10を超えていた。それでわたしはよくわからなくなって何がダメなんですかと言ってしまった。馬鹿だった。馬鹿であった。馬鹿の一言である。女性のリーダーに怒られた。当然である。それから同棲している彼氏に黙って首を吊った。近くに住む両親にLINEをしてお膳立てをしたってことは気付いて欲しかったんだと思う。かまってちゃんである。どうしようもない。
うつ状態の診断がついた。休職命令が出された。
復職するには自力で1日8時間何か頭脳労働をすることを考えて実行して1ヶ月過ごさねばならない要件がある。無理だと思った。今となればやればよかった。