私はいらない子。
私が小さい頃……。
まだ保育園か小学校の低学年の時、バス旅行で置き去りにされた。
数年前まで、その時の記憶は忘れ去られていた。
記憶はないのに、自分はいらいな子なのではないか。という思いが消えなかった。
過去の記憶をたどり、自分を癒す。
いつの間にかそれができ、【私はいらない子】という思いが消えた。
* * * * * * * * * *
心のどこかで、思っていた。
【私はいらない子】
誰かに言われたわけではない。
そう感じているわけでもない。
なのに、心のどこかで思っていた。
自分と向き合い、その原因が分かった。
私は時々、大勢の中にいても、ふと自分の殻に閉じこもり、
『私がいなくても、みんな平気よね。』
『私なんかいなくても、誰も困らないし。』
そんな風に感じる自分がいた。
人にどう思われたっていい。
自分がどうしたいか。
そこにいたいのか、いたくないのか。
それだけなのに、人の反応を気にして、
私なんかいなくてもいいんじゃない?
そういう思いが、湧いてくる。
なんで?
何を見てそう思う?
何を感じてそう考える?
ある時、自分でも気づかないうちに心の奥に潜っていた。
みんなが笑う顔が見えた。
『あんたは……もう、どこに行ってたん!?』
え?なに?
この景色、どこ?
景色はほとんど見えてこない。
はっきりわかるのは、待合室なのか、お土産屋さんなのか、そこにある机と椅子。
鍾乳洞に行ったはずなのに、その景色は全く覚えていない。
バスへ戻る前に、一人、トイレに行った。
そして、戻ると知っている人が誰もいなかった。
急いでバスへ行った。
バスもいない…。
なんで…?
そこから、記憶は飛ぶ。
多分そんなに時間が経っているわけではない。
気づいた父と母がきっと運転手さんに言って戻ってきてくれて、私を見つけた。
私が、母に連れられバスに戻ると、みんな笑っていた。
『あれ?私がいなくてもみんな平気だったんだ。』
『私がいなくても、悲しくないんだ。』
『私なんか、必要ないんだ。』
その気持ちに覆い被さるように、母の声。
『もう、あんたはどこに行ったかと思ったわぁ。』
私が悪いの?
忘れたのはお母さんじゃないの?
その光景を今の私が見ている。
そして、小さな私に語りかける。
みんな、心配してたよ。
だから、すぐに迎えに戻ってきたよ。
みんな、見つかって良かった。戻ってきてよかった。って、安心して笑ってるよ。
お父さんとお母さんはね、すごく心配してたよ。
ただみんなの前で、恥ずかしいだけ。
みんな、あなたの事心配してた。
大切に思ってたよ。
そうだったんだ。
子供の目線から見える景色。
子供のころに刻まれた記憶。
辛くて封じこめていた記憶。
大人の私から見ると、景色は全く違っていた。
『あぁ、愛されてたんだ。』
すべてのことに気づいた瞬間、安心して力が抜けた。
【私はいらない子】
それはもう、存在しない過去の記憶。
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