曲がれ、ぶつかれ、砕け散れ。人生は長くて短い。
職場と家を往復してるだけの生活を送っている、そこのあなた。
いや、もしかしたら在宅勤務で家から出ないで、動線すらないかもしれない、そこのあなた。
家とスーパー、家とコンビニくらいの動線ならあるけど、というそこのあなた。
ぼーっとしてると、誰も見つけられないよ!
ぼーっとしてると、誰にも見つけてもらえないよ!!
別に、これから先もずっと、1人で生きていくんだ、
自由な枠のない世界を飛び回って、疲れたら気の向くまま眠り、1人で生きていたいんだ。
っていう人ならば、本当に何があってもこころからそう思う自信があるのなら、
それでもいいんだけど。
もし、本当は誰かを見つけたい、誰かに見つけて欲しい、そう願う心がどこか片隅にでもあるのなら、
動くしかない。
社会人になると、本当に交流の勢いというのが格段に減る。
学生までは、毎年クラス替えやら席替えやら、なんだかんだで、無理矢理にでも合流させられ、覆され、ごちゃ混ぜにされる。
でも、大人になって同じ会社で淡々と働くようになると、新しく出会う人の少なさと言ったら。
もちろん、営業をしていれば、いろんな会社の社長さんに会って話を聞くこともあるし、異動が多ければ、都度新しい仲間と働くことにもなるし、出入りの多い会社なら、なんらかの拍子に新しい出会いができることもある。
でも、それは言ってもあくまで会社での話。会社というのは本来個々が会社に大して仕事を提供する場であり、金をもらう場である。
そしてその組織内には熾烈な出世争いや相対評価による貶め合いも潜んでいることがある。
そんな環境で出会う人たちは、今まで会ってきた学生とは違うのだ。
それに、新卒採用を毎年している会社なら、毎年新しい顔が入ってくるが、中途採用メインの場合、大体既婚者なんてことも普通。
だから、社会に出たら受け身でいても人がぶつかって来るということは急激に減ると心得なければならない。
これは何も恋愛対象に限ったことではない。人生の友に出会う確率もグッと減る。
学生まで、私は正直友達なんて、学生生活をこなすのに必要なだけで、どうせ移ろうものだから、そんなに重要なものじゃない、と思っていた。
しかし、一度社会に出てみると、新卒で同期がいた頃は彼らが公私ともに仲間になり得たけれど、やはりそれも同じ職場で働くからこその同志であり、ひとたび転職してしまえば、あまり続かないものだ。
大人になってからの人付き合いというのは、どこか遠慮がちで、相手の時間を邪魔しないような、そんな立ち振る舞いになっていく。
でも、本当の友達という立場を確立するには、多くの時間と、多くの思い出と、多くの悩みや迷い、喜びなどを共有していかなければならない。
学生生活には、こういったものが溢れているし、半ば強制的にもそれが可能だったけれど、大人になってからそれをしようと思うと、とても時間と労力とお金を使うことだと実感する。
(例えばマッチングアプリで出会った相手と、嫌いではないけど、そこまでグッと引き込まれないし、飛び込めないというのも、ここの部分が大きいと思う。)
学生時代を共に過ごした友達の存在のありがたみを、30を過ぎてから感じるようになるとは思っていなかった。
きっと、この思いは年々増すだろう。
だから、今付き合いのある学生時代からの友達は、ずっと大切にしていきたいと思っている。
感謝の言葉も恥ずかしがらず伝える。
学生時代の私の粗末な対応も謝罪した。
だから、どうか今学生時代を生きているあなたには、今そばにいてくれる友達を大切にして欲しい。
特に、大学生のあなた。
大学生でできた友達は一生の友達だと、私は思う。
まだまだ未熟だけれど少し大人の考え方もできるようになる人が増え、なおかつ子供のような無茶苦茶もできる。この絶妙なバランスが、大人になって社会に出た時、考え方のギャップが少なくて済むし、なおかつ学生時代の痛くて苦い思い出や死ぬほど笑った思い出も共有できるから、大人になってからも、無理なく付き合える。
そして、もう社会に出てしまって、日々の生活が直線を何往復もするものになってしまっている、あなた。
直線を、曲げよう。
常に並行線のもの同士は、決して交わらない。
みんなが家と会社、家とスーパー、家とコンビニの直線しか歩いていなかったら、何も始まらない。
なんかの拍子に交わっても本当に通過するだけで、何も起こらない。
それは分かったけど、どうやって、直線を曲げたらいいのか?
やり方は、いろいろある。
でも、あくまでも自分が楽しめる方法で。
でないと、疲れちゃうから。
マッチングアプリはあえておすすめしない。
知り合う機会の母数は増えるけど、質の低い出会いが多いし、疲れちゃうから。
学生時代、好きだったことで、大人になってから辞めてしまったことは、ないだろうか。
部活だったり、ゲームだったり、英語学習だったり、あるいは絵を描くことだったり。
まずは、その中で今もやれたら楽しいかも、と思えることを始めてみたらどうだろう。
自分が思うよりも、探し求めれば活動できる場は案外社会から与えられている。
スポーツなら、大体どこでも区ごとや市ごとに運営されているスポーツセンターがあって、そこで活動できたり、学習できたりするし。
ゲームが好きなら、オンラインゲームからリアルなコミュニティまで繋がることも少なくない。
楽しみながら、世界の人を知る、話す、好きになる。
でも、なるべくプレイヤー層が広いゲームにするなど、戦略は必要だ笑
語学学習が好き、やってみたい、途中でやめちゃった、なら、教室を探してみよう。
案外、学校で学習するって、大人には貴重な経験で、人にも出会えるし、ワクワクする。
絵を描いたり、物を作ったりするのが好きなら、その教室も世の中にはたくさんある。
まさに、求めよ、さらば与えられん。
もちろん、その結果、大切な人を見つけられるかどうかは、分からない。
でも、だから面白いんだ。
この狭くて広い世界は、自分が行動すればうんと広くなるし、籠っていればいくらでも小さくなる。
どれだけたくさんの選択肢の中から、どれだけたくさんの母数の中から、「その人」を選ぶかは、あなたの行動範囲にかかっていると言っても過言ではない。
だったら、できるだけ行動範囲を広くして、人と出会う母数を増やし、選択肢を広げた方がいいに決まってる。
そういう私は、信じられないかもしれないが、オンラインゲームで、語学勉強のためにプレイしていた海外サーバーで知り合ったフランス人の夫と結婚した。
別に超有名なゲームというほどのものでもないけれど、当時私がいろいろ試してみてハマったものだった。
始めたのは大学4年の時。
内定が出て、ゼミも落ち着いて、暇になった残り半年の学生生活。
英語専攻の私は、座学と短期留学だけでは身に付かなかった会話力に不満足だった。
だから、実践の場を好きなことをしながらやれる方法はないか、そう考えた結果、海外のゲームを日本人のいない海外サーバーであえてプレイしてみよう、と思いついたのだった。
結果的に大当たり。
日本人には一人も出会わなかった。
その代わり、アジア、ヨーロッパ全域、アメリカ、各国の人と話す機会ができた。
私のFacebookの友達は、正直ほとんどここからの出会いが多数なくらい。
会話の能力はこれでかなりアップした。
どんなシチュエーションでどんな表現がドンピシャなのか、ゲームを一緒にやりながら発言された表現を見ていると、どんどん分るようになる。
しばらくすると、自分もどんどん使えるようになった。
そんなこんなで、言いたいことをどんどん自然に言えるようになっていったある日、現在の夫と出会った。
遠く何マイルも離れた国で生きてきた男女がゲームで出会って8年後、結婚し、今日本で一緒に暮らしている。
別の記事としてガッツリ書く予定なのでここで詳しくは書かないが、人生そんなこともあるってことだ。
何が、将来の自分のための種まきになるかは、分からない。
今すぐに収穫できないことが多いからこそ、今から自分が楽しめることで、種を蒔こう。
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