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初北海道 1989年7月24日-③ 大平原道路〜本別海

大平原道路。とにかく対向車両がほとんどやってこない。左右には原野が広がる。青空と緑の中をまっすぐにのびる道だ。視界はすこぶる良い。僕は助手席に広げたままの地図を時折確認しながら、ほぼハンドルを動かすことのない日本とは思えないような大陸的なその道をひたすら進んだ。
そして窓から吹き込んでくる風にほんの少し肌寒さを感じた頃、約60キロぶりの信号が遠くに見えてきた。その信号は僕が来るのをわかっていたかのように素晴らしいタイミングで赤色のシグナルを青に変え、僕は車のウィンカーを右に出し右折レーンに入り車を右折させた。

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大平原道路が終わりR243に入った。通称パイロット国道と呼ばれる、これも実に開放的な道だ。道路脇には今度は牧草地が広がっているらしく、牛や馬たちがきれいに風景の中に溶け込んでいる。多少車の通行量は増えたもののそれでも対向車とすれ違うのは1分に1台あるかないかだろう。これでも紛れもない国道なのだから北海道のスケールに僕は半分呆れながら感心するしかなかった。気持ちよく快走を続けるジェミニ。空はどこまでも青く広がり、そして道は文字通り地平線までまっすぐにまっすぐに伸びていた。

何分か前に2台の地元ナンバーの車に抜かれたがいつの間にかその車がすぐ前に迫っていた。特にスピードを上げたつもりはなかったけどメーターをずっと見ていたわけではなかったので、気づかずにスピードが上がっていたのかなと思った。ところがそうではなかった。道路の脇で速度違反取り締まりの検問が行われていたのだ。そう言えば旅の前に読んだガイドブックには、「町に入る前で検問が行われていることが多い」と書かれていたのを思い出した。まさしくそこは中西別という町に入る手前のポイントで、地元の車が抜いて行ってくれていなかったらおそらく僕は今頃北海道の旅初日の1ページに苦い苦い思い出を記すところだった。5日間、気を付けないといけないぞと気を引き締めた瞬間だった。

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中西別の町。今地図で確認するとコンビニもあり、スーパーもあるようだ。でも当時はコンビニなどもちろん、個人商店も見当たらなかった。でもそんな地方の小さな町にでも郵便局はある。この旅のいろんな場面で郵便局のネットワークのすごさに驚かされた。

懲りずにポストの上を下敷きにして手紙を書く。夏の昼下がりの道東の小さな町を歩いている人は見当たらず人の気配が希薄だ。手紙をポストに落としてすぐに出発した。その時どうやら移動を続けていないと不安になることに気づいた。その時の旅日記には「動いていないとゴールが近づいてこないので心細くなる」と書かれている。この心細さが旅の間に快感に変わるのかな?帰りたい気持ちが薄れてくるのかな?自分の感情がどう変化するのかも、またあの時の旅の楽しみの一つだった。

車は廃止されたばかりのJR標津線の元踏切を越えた。大きなRで少しづつ右にカーブをした道を進んでいくとまもなく青看板が見えてきた。看板にはその丁字路でぶつかるのはR244号線、右に行けば根室・厚床、左に行けば斜里・標津と書かれている。そして丁字路に止まった僕の少し先には根室湾が広がっていた。ここで初めて北海道の海を見た。少し心がふくらんだような気がした。

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