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いい大人になった。マイ時間を犠牲にしてまで、得るものがない環境からはなれた。もう我慢をしたくない自分をほめたい。

昨年、2回会社を辞めた。

23年間働いた会社を5月に。

そのあと友人が社長をしている会社を12月に。

ぜひにと言われて転職したが、なかなか友人関係で仕事をするのは難しく(この時のことは別に書こうと思う)、将来の不安はもちろんあったけれど、帯状疱疹になり我慢の限界を感じた。

50代。いい大人になった。そろそろ好きに生きたい。

子供の頃、私は母から「我慢強い」のがいいとこだと言われた。

あまり経済的に余裕がない母を困らせたくなく、子供心に我慢をすることは親を喜ばす「いいこと」なのだと思った。

虫歯が痛くてもお金がかかるから我慢した。お腹が痛くても心配かけるから我慢した。

習い事も月謝代をもらうのが憚れてやめた。

反抗期もなく、辛いとか悔しいとか言葉にする前に、困らせたくないから、自分の思いをぐっと抑え飲み込んでいた。我慢することは良いことだと思っていた。

そういう「我慢ぐせ」が私にはついていたように思う。

社会人になって働き始めてからも、辛いことがあってもそれを吐き出したり人に助けを求めるのではなく、まず我慢をした。

自分でなんとかしようとしていた。そして限界を感じるとできるだけ害のない場所に、気持ちがざわつかないところにいた。打破するより離れた。

若い頃はそれでもよかった。仕事終わりの飲み会でうさ晴らしをして、毎日ごまかしがきいていた。

その気質がもっとも裏目に出たのは40代後半に転職したときのこと。

コミニュケーション能力が全くないわけではないが、継続的に長期的に同じ人たちといたり、同調圧力にさらさわれると、自分が主張したい言葉を発する前に我慢をしてしまう。

自分が我慢すればここは丸く収まると考えてしまうからだ。

でもそんな状況は、風通しの良い慣れた環境ならごまかしもきくが、転職先ではうまくいかず、ただただ自分をいじめていたように思う。

ある日、仕事に行く電車の中で涙が止まらない。いやだいやだ、行きたくないと心も体も拒否しているのに我慢して出社していた。限界だった。

転職といっても同じグループ会社への転籍だったから、風土はわかっていたように思っていた。

20年以上のキャリアやスキル、担当業務の専門知識、それらの経験を活かせるとワクワクしていた。

ところが、専門スキルで会社に貢献をすることよりも上司へどれだけ忖度ができるか、社内根回しができるかがその会社では重要だった。

あなたのためを思って、とよからぬ噂を耳にいれる同僚、誰も味方がいない環境、全てが初めての経験で私は簡単に沼に落ちてしまった。

我慢して我慢して適応障害とうつ手前の診断を受けた。そして協調性がないと降格・減給にもなった。

自己否定のループから抜け出せず、それでも、我慢して働いていた。

ほんとに今思うと、どれだけ自分を痛めていたんだろうかと思う。

ある時、るろうに心理カウンセラーさんの動画を観た。目から鱗だった。

https://www.youtube.com/channel/UC_yZ9_c9mRjp8IvUjszlDmw

我慢をしなくていい、自分を大事にしていい、つらいところから逃げていい。そんな言葉に救われた。

会社員を続ける選択以外のことがあるんだ。

でも会社を辞めたとして、自分に何ができる?

無職になったらどうやって生活する?

怖い、不安、堂々廻りの考えからなかなか抜け出せなかった。どうにか打開したくて、ある日神社にお参りに行った。

その時、御先祖様から脈々とつながれたこの血筋が、子供のいない私の代で終わることに気がついた。遡れば、何十年も脈々とつながって私が生まれてきた。

それが私の代で終わる。

我慢して泣いたり苦しんだり、辛かったり、そんなんで人生終えて、御先祖への土産話し、つまんないだろ!

と、ある日布団に入ってもなかなか眠れない時に気がついた。

あー、御先祖がお腹かかえるような土産話し、持っていきたい。

くだらなくも面白い、自分の時間をたくさんたくさん使いたい。そう思ったらもう、我慢して理不尽な時間を過ごす、会社員はムリ!だ。

辞めてよかった。

これからたくさんの破天荒な楽しいことでいっぱいにする。

土産話しを肴に御先祖と美味しいお酒を飲むぞ❣️



#我慢に代わる私の選択肢

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