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所長コラム⑰ポジティビティ比「3:1」について

 こんにちは、所長の松本です。突然ですが、3:1の法則(ロサダライン)というのは、ご存知でしょうか? ミシガン大学で博士号を取得したビジネスコンサルタントのマルシャル・ロサダは、長期にわたりビジネス界における優れたチームの特徴を研究していました。

 ロサダはチームの行動パターンを調べるため、マジックミラーを取り付けた会議室にビデオカメラを設置し、会議の発言を記録しました。60のチームの観察を行い、発言内容はコード化され、ポジティブかネガティブかで分類されました。分析の結果、優れた業績を発揮しているチームほどポジティブなコメント数をネガティブなコメント数で割った比率が高いことが分かったのです。高パフォーマンスのチームはポジティビティ比が6:1(ポジティブなコメントが6倍多い)、低パフォーマンスのチームは1:1にも届かず、その転換点は非線形力学モデルによる計算で凡そ3:1だったと算出されました。

 この調査結果を踏まえ、ロサダはポジティブ心理学を専門とする米ミシガン大学のバーバラ・フレドリクソン博士に連絡を取り、興味を持ったフレドリクソンは独自の追研究をしました。188人の学生に1ヵ月にわたって感情的な経験を報告してもらう調査を行い、1ヵ月分のポジティブ感情の数をネガティブ感情の数で割って比率を出しました。その結果、精神的に健康で充実している学生群はポジティブ感情の数がネガティブ感情の3倍以上だったのに対し、精神的に充実していない学生群は3倍を下回る数値だったことが分かっています。ここでも転換点が凡そ3:1だったのです。

 これらの研究を合わせ、フレドリクソンとロサダは共著で論文を投稿し、2005年にアメリカ心理学会のジャーナルに「Positive Affect and the Complex Dynamics of Human Flourishing」という論文が掲載されました。この論文は注目を集め、様々なビジネスシーンなどで活用され、3:1の法則が「ロサダライン」と呼ばれるようになったのです。成功するチームはポジティブなコミュニケーションが3倍以上多いこと、加えてネガティブなコミュニケーションがゼロであったりポジティビティ比が高すぎても良くないことなどが、職場のマネジメント研修、コミュニケーション研修でも活用されました。

 しかし、ロサダによる調査結果の数学的な裏付けは、イギリス人のニック・ブラウンという人によって否定されることになります。2013年、ブラウンらによる「The Complex Dynamics of Wishful Thinking:The Critical Positivity Ratio」という論文がアメリカ心理学会のジャーナルに掲載され、ロサダの非線形力学モデルによる計算過程での間違いが指摘されました。その後、フレデリクソンもロサダの数学的法則を真に理解していたわけではなかったことを認め、論文の欠陥を受け入れました。ただし、ロサダ以外の研究成果には問題がないことを主張しています。

 このブラウンの論文は、ソーカル事件で有名なニューヨーク大学物理学教授のソーカルと共著であったこともあり、大きな反響を呼んでしまいました。ソーカル事件とは、ポストモダンの思想家の文体を真似て数式をちりばめた内容のない論文をソーカルがポストモダン思想専門の学術誌「ソーシャル・テキスト」に悪戯で投稿したところ、受理され掲載されてしまったという事件です。もちろん、ロサダは故意に欺いた訳ではないのですが、ソーカルの非科学的なポストモダン思想を批判する論調に引きずられてしまったといえるでしょう。

 ロサダの計算間違いが発覚したからといって、3:1の法則自体が全否定されるのは違和感があります。人はポジティブな出来事や情報よりも、ネガティブな出来事や情報のほうに注意を向けやすく、記憶にも残りやすいという「ネガティビティ・バイアス」は、記憶の実験などでよく検証されている現象です。また、夫婦間の感情力学を研究しているジョン・ゴッドマンによると、満足して持続している夫婦のポジティビティ比は5:1だったとされます。更には、認知療法を専門とする精神科医のロバート・シュワルツ博士によると、治療前のうつ病患者のポジティビティ比は 0.5:1しかなく、平均的に寛解した患者が 2.3:1、最適な状態にまで緩解した患者は 4.3:1というデータが示されています。

 その後も様々な追研究がなされており、3:1に近い数値を示す調査も発表されています。ブラウンやソーカルによるロサダへの批判は大きなインパクトをもたらしましたが、ただブラウンはポジティビティ比の概念自体を批判しておらず、ポジティビティ比がポジティブな結果と関連している可能性があることに同意しています。もちろん、相手に依らず安直に比率を当てはめようとするのは、避けなければなりません。しかし、ロサダ以外の論拠の存在に加え、私自身の実感としても、ポジティビティ2~3倍という「目安」は、プラグマティックに活用することの意義が大きいのではないかと思っています。

<参考文献>


■著者プロフィール

松本 桂樹(まつもと けいき)
ビジョン・クラフティング研究所 所長
神奈川大学 客員教授

臨床心理士、公認心理師、精神保健福祉士、キャリアコンサルタント、1級キャリアコンサルティング技能士、健康経営エキスパートアドバイザー、日本キャリア・カウンセリング学会認定スーパーバイザー。