ヴァージンVS過去・現在・未来 21~並木橋スタジオ~
~水浸しの並木橋スタジオと蕎麦屋「なみき」~
久保田さちおです。
久々にこちらにも記事をアップさせていただきます。
メリーさんの記事から、デビュー前後の状況がボワーンと浮かんでまいりますが、やはり、それぞれの参加経緯や立ち位置によって、その時その時に感じていたことが違うんだなあということが良く分かります。
そのいろいろな思いが、ある一点で共有されるような何か、コンセプトであったり楽曲があると、バンドは一体化し進んでいくことができるのでしょうか。
追々、他のメンバーにも登場していただき、語ってもらいましょう。
さて、プロダクション「りぼん」に所属した我々は1980年10月から、渋谷並木橋にあった、「りぼん」所有のスタジオを使わせていただけることになりました。
並木橋交差点にほど近い古いビルの地下にあり、ミキサールームも付いている、かっては立派なレコーディングスタジオであったであろうスタジオでした。
なぜ過去形なのか、それは当時すでにミキサールームの床は地下からの湧き水でブヨブヨで、これじゃレコーディングスタジオは無理でしょう、レコ卓もすでになく、リハスタとしてもこのままじゃ外部にお金取っては貸せません。
ところで、あの水は下水が漏れていたのでないよね?地下水だよね?
って、今頃聞いても手遅れでしょう。
渋谷を南北に抜ける明治通りは、唯一坂道の無い道。道の両側東に宮益坂、西に道玄坂を抱え、その両丘陵地帯の湧き水が明治通り沿いに姿を現すという仕組みですなぁ。
それに目立たないが最近再び姿を現した「渋谷川」も流れているし。
かって1964年の東京オリンピックの時には、東京中を水洗便所化しなければならなかったが、下水施設が間に合わず、仕方がないので都内の有力河川に蓋をして暗渠化し下水にしたという、渋谷川も一時の下水の役割を終わり、本来の姿を現しつつある現在ですが、1980年ごろは、どこにそんな川があんの?という感じでした。
しかし水浸しであれ、なんであれ、料金を気にすることなく心ゆくまで練習できるのですから、なんと有難いことか!
RCも使ってるし、シナロケも使っていたはず。
スタジオには清志郎さんのハモンドとレズリーが半ば放置されていました。
たぶんこれは、清志郎さんが井上陽水氏と「帰れない二人」を共作した時の印税で購入されたものではなかったか?
後々「GOTTA!忌野清志郎」という本を読んでそう思った次第です。
さて、この「並木橋スタジオ」では1日2交代制で、長時間に及ぶ練習ができました。
途中当然お腹が空きますが、そのための出前メニューが用意されていました。
たぶんここがレコスタだったころの名残なのでしょう。
たしか「キッチン南海」と「なみき」というお蕎麦屋さんが2大メジャー。
この「なみき」の冷やしそばが好きだった。
なぜかというと、普通のお蕎麦屋の冷やしメニューは、どんぶりではなく皿に入れられてきますが、この「なみき」はどんぶりで冷やしメニューが来るわけです。
これがなんともうれしくて、よく冷やしキツネとか食べてたな。
あがた森魚氏ことA児氏、あっ逆か、もご存じのようにお蕎麦が好物だったので、よく頼んでいましたっけ。
ついでに言ってしまうと「たぬき」というメニュー。
大阪で「たぬき」というと「キツネ蕎麦」がでてきます。
京都での「たぬき」はあんかけうどんです。
東京で「たぬき」といえば天かすがのった蕎麦かうどんです。
1970年代中頃は、「たぬき」にも間違いなくこのような地域による違いがあったのですが、最近はどうなっとるのでしょう?
意識しなくなってしまったということは、「たぬき」も全国統一化されてしまったのか?
ど~でもよいような話になってしまいました。
すみません。
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