無責任で刹那的な生き方しか知らなかったあの頃
大学時代、決定的に貧しかった。
やっとハタチを超え、一人暮らしの自由な身ともなると、友人と飲むお酒が楽しみの一つなのに。
それでも飲みたいから、もっとも安く酔えるようアルコール単価なるものを算出し、瓶チューハイがいちばんお得に酔えるという結論に。
飲み終えたあとに、瓶を店に返し保証金を得ることも忘れない。
5円の保証金もアルコール単価の計算には織り込まれていたからだ。
近くの酒屋で瓶チューハイを買い求めて、友人とアパートで飲んだ。
貧乏な僕は扇風機だけで酷暑の京都に立ち向かおうとしていたので、真夏の夜には大学の時計台前で地べたに座って飲んだ。
少し裕福な友人はワンルームマンション住まいで、エアコンはあるわ、ブランデーのボトルはあるわで、そこへ押しかけることも多かった。
友人宅までチャリで20分、着いたら滝のような汗なので、すぐズボンを脱ぎ捨て、勝手にエアコンをオンにした。
なんで住人よりくつろいだ格好してんねん、と友人に言われながら。
そしてサントリーVSOPをキリンメッツで割って飲んだ。
ひたすら飲んだ。
***
大学生の頃、お酒をおいしいと思って飲んだことはなかった。
酔えればいい、ただ酔うためだけの飲み物だ。
お酒というより、エタノールといったほうがよいくらい。
あの頃の僕らにとって、お酒は麻薬に等しかった。
***
所属したテニスサークルは毎月コンパがあった。
三条大橋西詰で待ち合わせ、がお決まりだったが、他のサークルもほぼそうだったから、土曜の夕方のあの界隈の熱気は異様だった。
今はご法度の一気飲み、駆けつけ三杯、ドレミファ一気…
「今日のお酒が飲めるのは、○○君のおかげです、ほら一気、一気…」のかけ声が聞こえない夜はなかった。
ちょうど全国でアサヒビールが飛ぶ鳥落とす勢いだった頃のこと、いったい何本のスーパードライの瓶をムダに空けたか分からない。
二次会の記憶などほとんどなく、目が覚めるとすでに朝を迎えた木屋町の路上で転がっていることが多かった。
***
そんな風にして僕の飲んだくれ大学生活は暮れていった。
文字に書き起こすと、ただただひどい。
大学生だからできた飲み方だが、そこから得たものはあっただろうか。
いやいや、そんなものをいちいち確認したがるのは大人の悪いクセだ。
何を得るかなんてどうでもいい、無責任で刹那的な生き方しか知らなかったあの頃。
身体壊さず命落とさず4年間を生き長らえた幸運に、感謝せねばなるまい。
そして今は、静かに杯を傾け、エタノールの、もといお酒のおいしさを味わう大人になっている。
(2021/10/12記)
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