こんなことができる、こんなにがんばった、のないあの頃の素の自分
小学5年生の頃だったろうか。
突然、あだ名がついた。
「えぐお」
ちょうど、エグいという言葉がはやり出した時だったから、「えぐお」と聞けば「ひどいヤツ」みたいに思う友達もいたようだが、それは違う。
僕のは、エグいではなく卵のエッグだ。
頭の形が卵みたいだから、えぐお。
仲のよい女子からは「えぐちゃん」と呼ばれたりもしていた。
先日の記事でもカリメロに似ていると言われたことがあると書いたが、あれはまさに卵そのものだ。
そんなに僕は卵なんだろうか。
***
以前少しだけ書いたことがあるが、高校時代のあだ名は「ぼっちゃん」だ。
当時の神戸市立の中学校はどこも男子丸坊主という決まりがあった。
僕は神戸市民だったが、神戸大学附属中に行っていたので長髪だった。
別に坊ちゃん刈りなわけではないのに、髪が長いというだけで入学式の当日から「ぼっちゃん」と呼ばれるようになったのだ。
同じ高校には附属中から何人も男子が入学したが、「ぼっちゃん」と呼ばれたのはなぜか僕だけだ。
やっぱり卵形の頭が「ぼっちゃん」と呼ばせたのだろうか。
***
高校の友達とはまだ少しつきあいがあるから、僕を「ぼっちゃん」と呼んだ友達ともたまに会うことがある。
どこかの企業の社長に就いた友達から「ぼっちゃん」と呼ばれたり、私立オーケストラを編成して指揮者として活躍している友達から「ぼっちゃん」と呼ばれると、高校を出てから自分が積み重ねたもの、その友達が積み重ねたものが一瞬で消えてあの時代に戻れるから不思議だ。
こんなことができる、こんなにがんばった、のないあの頃の素の自分。
どうもこのnoteには―自分も含め―こんなことができるがあふれかえっていて、それにちょっと嫌気が差しているのもあるが、そうした鎧を取っ払ったその人の本質に触れられたときの喜びは大きい。
僕にとって「ぼっちゃん」はそのトリガーになる魔法の呼び名だ。
中学の友達とは疎遠になってしまったから、「えぐお」と呼ばれることはたぶんもうこの先ないだろう。
今もし「えぐお」と呼ばれたら、たちまち中学の頃の何者でもない自分に戻って…ちょっとぐにょぐにょに溶けてしまいそう。
(2022/11/26記)