あの日の爪切りも、最後の爪切りも
爪は朝しか切ってはいけない――
親の死に目に会えないからと小さい頃に親に言われて今もなんとなく、いや頑なに守っている風習だ。
***
誰しもそうだと思うが、小さい頃は母親に爪を切ってもらっていた。
小学校に入った頃だっただろうか、ある冬の昼下がりのこと。
母と2人でテレビを観ていたら、そのうち母が寝てしまった。
この頃の母は、昼寝を極上の愉しみとしていたのだ。
結果として1人でテレビを観ることになったが、そのうち飽きてきて、ふと目に止まったのが伸びた自分の手の爪だった。
それも相当伸びていた。
うわ、切らなアカンで、これ。
すぐさま母を揺り起こそうとしたが、とにかく気持ちよさそうに寝ているのを見て、すんでのところで手が止まった。
自分で、切るか…自分で? えーと、切る? 自分で?
不安が首をもたげてきて、やっぱり起こそうかと手を伸ばしたり引っ込めたり、物陰からこっそり見ていたら滑稽な数分間だっただろうが、結果、自分でやってみることに意を決した。
あ、今、朝ちゃうやん…
せっかくの決意が、思い出した風習に一瞬流されそうになった。
しかし、母がうたた寝している間に一人で爪を切ってみるという冒険に大人への階段を重ねてしまった少年の心は、風習を守ることよりも大切なものがあるという高揚感で再び満たされた。
パチン、パチン。
爪を切る音が母を起こしてしまわないか、気が気でない。
10本の指すべて切り終わるまで、どうか起きないで。
お母さん! 爪伸びてたから切ったよ! そう、自分で!
切り終えた瞬間、揺さぶって起こした母の目の前に、誇らしげに指先を10本並べて見せた。
これまでの人生で、午後に爪を切ったのはその一回限りだ。
***
母が亡くなるほんの一週間前のこと。
昨年11月だから、つい最近のことだ。
病に冒され、回復の見込もなかった母は、最期は安らかに旅立ちたいとホスピスに入院した。
もうその頃にはだんだんと意識が混濁するようになっていた母は、起きていても寝ているような状態が増えていたが、介助されて入浴することを拒むなど、気高い一面もまだ残っていた。
ふと手を見ると爪が伸びている。
常に爪をきれいに整えていた母なのに、それさえもできないほどに弱っていたのだ。
この爪、もうこのままで旅立とうとしているのだろうか。
気高い母がそう思っているとは到底思えなかった。
切りたいはずだ。
次の日、自宅から爪切りを持ってきて、母の爪を切った。
パチン、パチン。
この音で目を覚まして。
パチン、
い た い…
あ、ごめん、指先ちょっと切りかけた…
ふつうなら平謝りのところだが、痛みに反応してくれただけで嬉しかった。
パチン、パチン。
お母さん、爪伸びてたから切ったよ、こんなの初めてやね。
指先の痛みのおかげか、この時の母は起きていて、ありがとう、ありがとうと涙を浮かべて喜んでくれた。
親の爪を切る日が来るなんて、自分が大人になることで必死だった少年のあの日には思いもしなかった。
爪切りなどちっぽけなことかもしれないが、指先を通してこれまでの感謝を伝えられたような気がした。
それから一週間ほどして、母は息を引き取った。
***
母は最期、医師の巡回の隙をついて誰にも看取られず旅立った。
もしかすると自分があの日、あの昼下がりに爪を切ってしまったばかりに、風習どおり親の死に目に会えなかったのかもしれない。
けれど、母はきっと喜んでくれているはずだ。
あの日の爪切りも、最後の爪切りも。
(2021/3/10記)