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いやホンマ、飲みすぎやろ

昨日、高校時代の同級生と飲んだ。
以前の記事で、卒業旅行のスキーツアーに1人がでっかい億万長者ゲームを持ってきたと書いた、そのアホな4人組での飲み会だ。

ふだんほとんど連絡を取り合うことはなく、年に一度くらい、ピコンとLINEグループ「億万長者」にメッセージが届く。
そのたびにみんな元気かなと顔を思い出し、ツアーバスに億万長者ゲームを持って乗り込もうとする姿を思い出す。
いや、持ってきたのは案外、人生ゲームだったかもしれない。
なにしろ35年も前の話だ。
記憶はもはや定かではない。

「久々に昼飲みせん?」の誘いはもちろん、「昼だけ飲もうか」ではなく「昼から飲もうか」の意だ。
正午から3軒巡り、お開きは21時。
いや、飲みすぎやろ。

集合は阪急十三駅。

「十三」と聞くだけであぁ…とディープな街並みを想像できたられっきとした関西人、え?どう読むん?となったらもう少し修行が必要だ。
正解は「じゅうそう」。

そう、ここはうかつに足を踏み入れてはいけない魅惑のゾーン。

そこに昼のひなか、お天道様の南中に合わせて飲みに繰り出すなんて、ホンマえぇ度胸してるやん。

最初に入ったのはこの関東煮と串カツの店。

関東煮(かんとだき)とはいわゆるおでんのことで、京都で発展した本来のおでん(味噌田楽)と区別するために、関東から流入してきた醤油ベースのおでんを関西では関東煮と呼ぶのだ。

なのに、なぜか誰も関東煮と串カツを頼まず、なぜこの店にした?状態。
適当なアテをパクつきながら、ただひたすら飲む、飲む、飲む…
最初の1軒というのに、もう生中3杯、日本酒2合、酎ハイ1杯。

今日のことは明日のnoteにあげるからと言い放ち、じゃんじゃん写真を撮ったはずが、どこからどうスマホをつついてみても、この3枚しかない。
昨日の僕のnoterとしての活動は開始早々終了していたらしい。

店を替え、そのたびに話題も少し変わるのだが、気がつけば「今後のサラリーマン人生どないすんねん」の話に行き着く。
1人は来年の早期退職を決めているし、僕は2年前にリタイアした。
あとの2人はまだ具体的ではないが、このままでえぇんやろかと心のどこかで引っかかりを感じているようだ。

もちろん、何が何でも脱サラしようやというわけではない。
サラリーマンを続けていては果たせないような夢があって、どうしてもそこに人生突っ込んでみたいと思えて初めて脱サラしてみる?という話だ。
そこまでの覚悟がなければ、何から何まで庇護されたサラリーマンという職業をわざわざ捨てる必要はない。

1人が、税金は1円たりとも取られたくないという。
そうそう、僕もサラリーマン時代は同じ感覚だった。
税金は「取られる」もの。
そらそやわ、汗水たらして稼いだ給料から天引きされるんやから。

でも最後に勤めた会社で、社長が、起業したときの思いを「1日でも早く納税できるようになりたかった」と語った。
それが、自分の始めた経済活動が社会に貢献していることを示すもっとも分かりやすいインジケーターなのだと。
税金は「納める」もの。

そのときサラリーマンだった僕は、へぇそんな殊勝な考え方もあるのかと軽く聞き流した。
けれど、いざ脱サラし、細々とフリーランスを始めてみると、明らかに自分の中で意識が変わっていくのが分かった。
納税できるようになりたい。
税金が「取られる」ものから「納める」ものに変わったのだ。

脱サラすればみんな意識が変化するというわけではないだろう。
納めたあとの税金が有効に活用されているかといえばそうでないことも重々承知だし。
でも、どれだけがんばっても収入が頭打ちのサラリーマンにとって、1円たりとも取られたくないという「引き算意識」が働くのは自然なことだ。
逆にがんばりしだいで青天井のフリーランスにとっては納税してもなお積み増していける「足し算意識」が働くのもまたごく自然なことだと思うのだ。

税金を納める——
そんなあたりまえのことが、今の僕の活動の軸になっているようだ。

21時、何を飲み食いしたかまったく覚えのない3軒目を出て、お開き。
いやホンマ、飲みすぎやろ。

僕たちは9時間かけて互いに「億万長者」を目指すことを確認し、またそれぞれの日常に戻っていった。

(2024/8/18記)

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へんいち
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