2拠点を目指すという力強い宣言
なんと!
キャリア支援プラットフォーム構築のお手伝いをしている沖縄・糸満のにっしーさんがこのほど婚約をされたとな!
いやぁ、めでたい!
ホンマにめでたい!
ところが、これを機に沖縄から飛び出して他県へ移住するのだそうだ。
この記事が出る前にすでにそのことはにっしーさんから聞いていたのだが、それを聞いたとき僕は危うくうーんと唸りかけた。
糸満にキャリア支援のプラットフォームを作り、平均年収をアップさせ、専門学校や大学まで作りたいと夢を語っていたにっしーさんだ。
県外に移住するということはつまりそれらの夢を諦めるの?
いや、にっしーさんの考えはそのはるか斜め上を行く。
新天地と糸満の2拠点生活を目指すというのだ。
にっしーさんの中にも明確な青写真はきっとまだないはずだけど、それでも楽しみでしかないという。
そこがにっしーさんの強さだと思う。
愛媛の村おこしに20年取り組んだ僕も、最後の2年ほどは拠点を神戸に移していた。
日頃は神戸で仕事をし、会議その他重要事項のある日に愛媛で勤務。
愛媛勤務の日にはホテル住まいだったから正確には2拠点生活とはいえないかもしれないが、少なくともその大変さはよく分かる。
にっしーさんと共通するのが、2拠点のうちの一方が強く地域に根ざすというところ。
にっしーさんは沖縄、僕は愛媛。
地域への思いが強かったから2拠点を選んだとも言える。
僕は自分なりに2拠点生活をがんばった。
しかし結論から言って、僕の場合うまくいったとは言いがたい。
村おこしというまさに地域に根ざした活動を、身ひとつ2拠点で取り組むことには多少の無理があった。
しかも今と違って、コロナ前はまだリモートが一般的でなかったから、ふだんよそにいて何ができるんや!的な愛媛からの圧も日々感じ続けた。
そして僕は2年ほどで、愛媛から完全に離れることを決意した。
それが、ほぼ僕が不在で不安な日々を過ごす部下のためでもあり、僕のためでもあり、ひいては愛媛のその村のためと判断したのだ。
これが僕の精一杯。
にっしーさんの、2拠点を目指すという力強い宣言を聞き、ふと自分のそんな不甲斐ない過去を思い出した。
でも、にっしーさんなら大丈夫。
さまざまな困難をともなうことは間違いないが、前向きな心、やりぬく決意、そしてリモートがあたりまえになった時代背景。
そんなすべてがにっしーさんの未来をしっかり支えてくれると僕は信じる。
ファイト、にっしーさん。
(2024/3/3記)