来年の元日をもって僕の…
少し浮ついているこの感覚——
といっても、浮かれているというのではない。
地に足がついていないのだ。
一つの仕事が決着を見ぬまま、次の仕事に着手する。
世の中、そんなことはよくある。
というか、いちいち仕事ごとに仕舞いをつけなければ次に進めないとなったらかなりのスローペースになるし、なにより不器用すぎる。
まぁ、一つや二つの重なりであればノープロブレムとして…
たとえばこれが30くらいになるとどうだろう。
えっと、いちばん下は何だったっけ、上から13番目は何だったっけ…
もちろん、今30も重なっているわけではない。
ではないけれど、そんな感覚だ。
コロの上をごろごろと運ばれるモアイ像の気分。
自分の足で地面を蹴って歩いている感覚がないのだ。
でも、脳内スケジュール帳を繰ってみたら、驚くほどすらすらと仕掛かり中の仕事一覧が出てくる。
〇〇さんの文章指導、△△さんのキャリコン、※※さんの書籍編集、◇◇さんのブランディング、ぐるめぐる、エッセイ講座…
それぞれの締切というか、マイルストーンも頭に入っている。
ならちゃんと自分で歩けているではないか。
いやいや、すらすら出てきたのは全部、noteの友だち、あるいはランサーズやココナラ経由で依頼いただいた仕事だ。
となると、僕をモアイ像にするのは、それ以外の仕事ということになる。
業務上差し障りがあるので個別には書かないが、要は企業から依頼され、厳格なマニュアルの下、既定の枠にはまった成果物を納める仕事群。
つまり、僕でなくてもえぇやん、という仕事だ。
つくづくそうした仕事には身が入らない。
がんばったところで他人と似たような成果物を生み出すだけかと思った瞬間、脱力し、英気を失い、コロに載せられ、ただ引っ張られる。
もちろん、いくら厳格なマニュアルがあったとしても、成果物がどの人も一字一句違わないなんてことはない。
でも求めているのはそんな微細な話じゃない。
「お手本どおりに書け。トメ、ハネくらいは自由でいい」ではないのだ。
僕が求めているのは、「白紙を1枚渡すからあとは自由に」。
こんなことできます、お役に立てますと自ら看板を掲げ、じゃあこれお願いできますか?と依頼をくださり、舞い込んだ仕事たち。
分かりました!と引き受け、脳内スケジュール帳にしっかりと刻む。
大切な方々と密にコミュニケーションを取りながら、目指す道へ手を携え、ともに歩く。
そんな仕事ならいくつ重なったって大歓迎だ。
しかし時間を極限まで使っても、まだおまんまが十分に食べられるには至っていない。
ともに歩き、ともに生み出してきたものは、それなりにお役に立ち、お喜びいただけている自信はあるにもかかわらずだ。
企業からのライスワークを断てば、僕は住むところさえ失うだろう。
という1000字を超す長い前フリを経て、1行だけ結論を書く。
来年の元日をもって僕の提供する諸サービスの価格改定を行います。
(2024/9/21記)
チップなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!