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「太陽と自分しか信じてへん」
時折メールをする間柄の友人がいた。
3か月ぶりにメールをしたら何通も往復させ、パタッと止まってまた3か月、みたいな。
一連のメールではある話題で盛り上がることが多かった。
ところが、あるとき異変が起こった。
それまでよく2人がメールに登場させた話題を、いつものように僕がふったが、なんとなく相手の反応が芳しくない。
試しにもう一度ふってみたが、明らかに避けている様子。
思い切って聞いてみたら、もう今後その話題はやめるという。
あまりに唐突な変化だったから、理由を訊かずにはおれない。
すると、宗教上の理由だとの答えが返ってきた。
そして、その話題がいかに教義に相容れないかの話が続いた。
タガが外れてしまったか、メールには教典の一部が引用され、教えのすばらしさも並んだ。
なら、それまではなぜ? そしてなぜこのタイミング?
疑問がふつふつと湧き起こる。
しかし、それをぶつけることはしなかった。
僕はただ、以前とのギャップに驚いたとだけ書いた。
正直、僕はまたいつものようにその話題に触れたかった。
ふつうなら、友人の変化についてあれこれ訊いただろう。
友人がまたその気になるようにしつこく説得もするはずだ。
でも、そんな気はさらさら起きなかった。
そこに信仰が介在するとき、それを覆す努力は不毛だ。
宗教と書くから、いろいろ面倒にもなる。
何を信じるのか、ただそれだけのこと。
2人の話題が信心とぶつかるなら、僕はすごすご退場する道を選ぶ。
あなたは神を信じますか――
道でそう聞かれたら、こう答えてきた。
「太陽と自分しか信じてへん」
すべての生命を照らす太陽、そして自分。
僕の信じるものは極めて原初的なものだ。
(2022/9/22記)
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