次は僕が目を点にする番だった
高1の夏休み、アメリカ・シアトルに行った話は何度かこの場に書いた。
観光旅行ではなく、兵庫県の高校生が参加できる2週間の短期語学研修だ。
学校の枠を超えてまでの活動を、僕は積極的にしたいほうではない。
なのに、学校の掲示板にそのプログラムの募集を見た時、なぜだか行かなくてはならないような気がしたのだ。
ひょっとすると世間ではこれを魔が差したというのかもしれない。
親にしてみればもっとこう、落語鑑賞会に行きたいんやけど500円いるねん…とかいうのだと嬉しかったはずだが、僕が帰宅していきなり言ったのは、アメリカ行きたいんやけど40万円いるねん、だった。
その時母親は、目が点になるとはこういうことをいうのよと慣用句の成り立ちを身をもって解説したかったかのように目を点にした。
うちは貧乏だからと事あるごとに刷り込まれて育った僕は、「40万円」の箇所で打ち首になる覚悟をしていたが、なぜかそうはならなかった。
そこからOKが出るまでの記憶は定かではない。
さすがにあっさり承諾されたわけではないと思うが、かといって僕も涙ながらに延々と説得を続けたわけでもない。
ただ覚えているのは、京都で一人暮らしをしていた大学生の兄に電話して説明しなさいと言われたことだ。
どうやら親は、40万円かかろうと息子が行きたいというならなんとか工面しよう、その代わりそういうの行ってない兄の了解を取っておかないと、あとで不公平だと兄に言われた時に身が持たないと考えたらしい。
まぁその親心?は分かるので僕は兄に電話をし、アメリカ行きたいんやけど40万円いるねん、とまた同じことを告げた。
しばらく返事がなかったのは、おそらく目を点にしていたのだと思われる。
テレビ電話でなくても表情はちゃんと伝わるのだ。
しかし兄は点になった目を元に戻してから冷静にこう言い放った。
「40万円、いつか返すんよね?」
おぉっ、そうくるか。
家の困窮状況を知る僕は「…も、もちろん」と答えるほかなかった。
かくして僕は40万円の負債を抱え、満面曇り空のような表情をたたえながらシアトルで語学研修を受けた。
一つ心残りがあるとすれば、2週間で英語は上達しないということだ。
40万円は単なる観光旅行として消費されてしまったが、就職してから親にはきっちり返したから、誰から指を差される話でもなくなった。
もう一つ心残りを言わせてもらえるならば、当時急激に進んだ円高で、同じプログラムが翌年25万円で募集されていたことだ。
次は僕が目を点にする番だった。
(2022/8/31記)