やっぱり諭吉を握らせるべきだったと苦笑い
僕の通った大学の学祭は通称「NF(November Festival)」と呼ばれ、11月に前夜祭を含め数日間にわたって開催される一大イベントだった。
他大学の学生はもちろん、関西一円、全国から10万人が訪れるという。
前夜祭では、大きな酒樽がいくつも運び込まれ、教官が鏡開きをする。
教官が杓で酒を次々と注ぎ、学生は無料で飲み放題の「教官酒場」だ。
これはもちろん異常な盛り上がりをみせる。
***
2回生の前夜祭、サークルで出したお茶漬けの模擬店は成功に終わった。
僕は、フィナーレを飾るグラウンドの大きな焚き火の赤い炎をぼんやり眺めながら、教官酒場で美酒に酔いしれた。
そしてその途中からまったく記憶を失う。
…翌朝まだ薄暗い頃、下宿で目覚め、ふと横を見て絶句した。
見知らぬ女子が横たわっている。
えっ? えーっ?? 誰ーっ???
まったく状況がつかめない。
頭は割れんばかりに痛み、まだもっとゆっくり寝たかった。
が、そういうわけにもいかず、女子を揺り起こした。
女子は目をうっすら開け、吐きそう…とだけ言った。
見知らぬ男子の部屋で目覚めた驚きよりも、吐き気が勝ったのだ。
トイレに連れて行って吐かせ、水を買ってきて大量に飲ませた。
1時間ほど介抱を続けると、少しだけ生き返った様子。
聞けば前夜祭に遊びに来て教官酒場のあたりから記憶がないと。
チャリで30分ほどのところにある女子大の学生だ。
実習があるので今日は絶対休めないと。
そろそろ…と立ってはトイレを繰り返し、ついに吐きつくしたか出発の時。
空は直前までもっていたのにとうとう降りだし、なけなしの傘を貸した。
本当は諭吉を渡してタクシーに乗せたかったが、こちらも苦学生ゆえ、200円だけ握らせて市バスに乗せた。
なんとか女子を送り出し、下宿に戻った僕はそのまま死んだように眠った。
お茶漬け屋の運営でくたくただったのだ。
前夜はスーパーで買った生鮭をひたすらチンしてほぐし、徹夜だった。
後にサークルの友達に聞くと、前夜祭のあと僕の部屋で飲み直すことになったが、手前の吉田神社に女子が倒れていて部屋に運んだという。
おかげで飲み直す話もなくなり、解散したのだと。
まったく記憶にない。
***
1週間ほど経ったある日、下宿のドアノブに、あの日貸した傘。
小さな焼き菓子と手紙が添えられていた。
大変な迷惑をかけてしまったこと、動けない自分を介抱してくれて感謝していること、バスはやっぱりしんどくて結局途中で降り、また乗り直してぎりぎり実習には間に合ったことなどがしたためられていた。
あの子が無事生きていると分かってホッとした。
でもやっぱり諭吉を握らせるべきだったと苦笑い。
(2022/7/27記)