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ちなみに、どれもこれも叶ったためしがない

どうして書きたくなるのだろう。

あ、文章の話ではない。
それはまた別の機会に譲るとして、今日は…

好きになった子の名前の話だ。

小中学生の頃の、好きになった子の名前をひたすらノートに書きなぐるあのナゾの行動はいったい何なのだろう。
たぶん誰しも経験があるだろうけど…
え? ない? うそ! ある、よね? あぁ、よかった。

僕の場合、小学4年生頃から急に。
それまでも恋多き幼年時代ではあったが、そんな衝動はなかった。
好きな子の名前でびっしり埋め尽くされ、ノートは真っ黒になる。
鉛筆だから手の側面も真っ黒だ。

そして、風呂。
沸かし立ての一番風呂に入ると、浴槽に無数の泡がびっしりついている。
そこに好きな子の名を指で書く、書く、書きまくる。
身体の向きを変えながら、浴槽内ぐるり一周。

怖い。怖すぎる。まるで呪詛である。

書くところがなくなったら、ザーッと手でなで消しておしまい。
ノートに書きなぐるのもいいが、ふと我に返ったとき、この証拠物件をどうしてくれようとなる。
でも、浴槽につきたるうたかたは、かつ消えかつ消えどんどん消え、久しくとどまりたるためしなし、なのだ。

名前を書くだけでなく、名前を持ち歩いてもいた。

中学生の頃、クラスの氏名が印刷されたプリントから、好きな子の名前だけ切り抜いて財布に入れていたのだ。
そんなことをして何になる、気持ち悪い、とは言わないでほしい。
ピュアに純粋に単純に、好きな子の名前を持ち歩きたかっただけだ。

しかしある日、母の目の前でその紙きれがはらりと落ちた。
あ、と思うまもなく、拾ったのは母だ。
母は、何この紙?といった表情でそこにある文字列を確認し、何この紙!といった表情で僕に無言で差し出した。
いや、母は少しにんまりしていたかもしれない。
真っ赤になった僕も、何この紙?といった表情で受けとり、さも知らぬまに紛れ込んでいたふうを装って財布に戻した。
そのときほど親の前で焦ったことはない。

ちなみに、どれもこれも叶ったためしがない。
念が足りなかったのだろうか。
浴槽に書く回数が少なかったのか、持ち歩く紙きれが少なかったのか。
いや、怖いって。

今、心に想う人がいたら、ぜひ試してほしい。
想いが通じるか、呪いになるかはあなた次第だ。

(2023/1/7記)

チップなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!