速い女子にどんどん抜かれてかなりへこむ
高校3年間を書いてみよう。
小4から神戸に引っ越してはいたが、学校は明石のままだったから、中学卒業でついに明石と別れ、神戸どっぷりになる。
長田高校に進んだ。
県立だけど私服、パーマ、カラー可で、安保闘争で大学が荒れた頃、長田高校も学園紛争が激しく、団交で自由を勝ち取ったそうだ。
生徒手帳の「生徒申し合わせ事項」のページには次の一文が踊る。
われわれは服装の自由選択権を有することを確認する。
私服といっても、卒業式とかで着る標準服はある。
男子の標準服はふつうの学ランだったが、女子はセーラー。
女子は夏服が暑い暑いと不満たらたらだった。
当時はなんとも思わなかったが、今見るとかわいいかも。
リカちゃんだからか。
***
入学してすぐ、あだ名が「ぼっちゃん」になった。
当時、神戸市立の中学はすべて男子丸坊主だったから、市外の中学から入学すると髪が目立つのだ。
プールの頃になると髪が伸びてくるが、皆セットのしかたを知らない。
仲のいい数名にはそれぞれ整髪料を持ってきてもらい、プールのあと僕がセットをした。
プールで思い出したが、異常なまでに体育の厳しい高校だった。
体育は毎回450mのグラウンドを6周走ってから。
中学まで短距離の選手だったが、長距離はまるでダメ。
女子は5周だったが、男女いっしょに走るから、速い女子にどんどん抜かれてかなりへこむ。
そして雨降りの体育は、50分間このグラウンドを延々と走り続ける。
初の雨体育は、替えの靴を持っていかなかったから、池のような靴のまま一日を過ごさねばならなかった。
登校できたなら運動もできると言われ、体調不良でも見学は許されない。
プールは25mを50本泳ぐので、まったく息つく間もなく、プールサイドは走って戻らなければ怒られた。
女子はプールに入れない日もあるが、これも見学は禁止で、グラウンドを5周したあと、ひたすら腕立てや縄跳びだ。
柔道にいたっては、さらに厳しかったが、その厳しさを表現する言葉を持ち合わせていない。
あまりのキツさに授業中何人も吐いていた、と書けば想像つくだろうか。
午後に柔道がある日は1時間目のあと早弁していた。
少しでも早く食べておきたかったから、1時間目の授業中に食べることも。
いちおう教科書を立ててその陰で食べるのだが、目にも鼻にもバレないはずはないのに、先生はおろか友だちも一瞥もくれない。
自由すぎる。
1000字では体育のことしか書けなかった。
つづきはまたいつか。
(2021/6/9記)