aoの歌を2曲歌って溜飲を下げた
昨日、カラオケに行った。
実に5年ぶりだ。
すっかりご無沙汰だったが、カラオケは大好きだ。
高校時代に文化祭の打ち上げで初めて人前で歌い、心地よさに魅了された。
大学時代はバッティングセンターの一角にあった、1曲50円の小さなボックスでよく歌ったものだ。
新卒で就職した東京の出版社では、毎夜同じ顔ぶれでカラオケボックスに入り浸った。
何か食べ飲みしたという記憶はなく、ひたすら歌い続けていた気がする。
神戸に帰省しても、歌好きの父とカラオケに行ったものだ。
父はその昔、歌手デビューを本気で考えたというほどの歌の名手だった。
愛媛に移り住んでからは、歌う曲の幅が格段に広がった。
周りにカラオケを愛好するじいちゃんばあちゃんの多いこと。
村長の家には立派なカラオケのシステムがあり、何度か招かれて歌うことになったが、その座は推定平均年齢70歳。
一人30代の僕は、村長とほぼ同い年の父の選曲を思い出しながら歌った。
また当時はインターンシップの学生を全国各地に伴って、百貨店での販売研修をおこなっていたが、仕事が終わって片づけて21時、それから食事に行って将来の話をゆっくりして0時、さぁホテルに帰って翌日の仕事に備えようと思ったら、今からカラオケ行きません?と若い力に押され、朝5時まで歌いまくる、というのを1週間続けたり。
高齢者から大学生まで、メンバーに合わせて選曲できるようになったのは、確実にこの愛媛時代のおかげだ。
そんな僕も、2017年に愛媛を去って神戸に帰ってきてからは、カラオケには一度しか行ったことがない。
最後の職場では僕は同僚とは一定の距離をとっていたし、すぐに始まったウイルスの猛威の前に、カラオケからはすっかり足が遠のいてしまった。
そして今年から始めた在宅フリーランス。
仕事の連絡もほぼメールやチャットで済むため、とにかく喋らない。
声帯ってこんなにもすぐに凝りかたまってしまうものかと驚くほど、声が出なくなってしまった。
たまにかかってくる電話や、玄関先での隣家の住人との挨拶も、咄嗟にはかすれ声すら出ず、まさに口パクとなって用をなさない。
このまま声が出なくなるのではという恐怖に、大好きなのに全然行けていない不満があいまって、ついに家族に言ってみた。
「カラオケ行きたい」
えー? 家族で?という反応も覚悟していたが、予想に反し、子供たちからは行こう行こう!と。
そんなことならぜひ行こう。
施設の父を見舞ったあと、兵庫駅前のカラオケへ。
子供たちとのカラオケは本当に久しぶり。
その昔、大塚愛を歌う僕に恐るおそる声を合わせていた子供たちは、あたりまえだけどもう自分たちの好みで堂々と歌うようになっていた。
たったそれだけで目を細めるようになった僕も、成長したということか。
うーん、2010年代前半からアップデートが止まっていた僕と、日々新しい音楽のシャワーを浴びている子供たちとではやはり選曲の鮮度は異なる。
Snow ManやらVaundyやら、知ってはいてもさすがに歌えない…
でも、いちばん若いシンガーの歌を歌ったのはこの僕だ。
激推しイチオシ17歳のaoの歌を2曲歌って溜飲を下げた。
(2023/12/30記)