前向いて走らないとこけますよ
連日、実家の整理に追われている。
とある理由があって、整理に期限が切られたのだ。
想定よりだいぶん早く、この10日間ほどでやりきらねばならない。
今朝も5時過ぎの始発の地下鉄に揺られて実家へ。
まぁ、こんな朝早く来てどうしたの、と声をかけてくれる母はもういない。
連絡もせんとこないに早よからなんやねん、という父ももういない。
よくもまぁこんなに古いものを後生大事に取っていたなというものばかり。
母がずっと使っていたソロバンも、父がずっと使っていたペンも。
まったく時が止まったかのようだ。
*
天袋から大きな包みが出てきた。
開けてみると僕が高校を出るまでに創った文章、絵、工作その他もろもろ。
一切合財すべてが保存され、丁寧に学年別に分類されている。
小学1年生、入学式の日の日記だ。
そうそう、幼稚園から小学校卒業するまでの9年間、僕はずっと出席番号が15番だったな。
カマキリ大図鑑だって!
これは幼稚園の卒園間近の頃の作品のようだ。
幼稚園のイモ掘り遠足でカマキリの卵を持ち帰り、家中にカマキリの幼子をばらまいた張本人として反省の念を込めた大図鑑かもしれない。
カマキリの目がこっち向いていてなんだかかわいい。
幼稚園年少の頃の恐竜の絵。
僕は無類の恐竜好きで、当時知らない恐竜はいなかった。
学研の恐竜図鑑はボロボロになって何度も買い直してもらうほどだったし、その図鑑に載るアロサウルスの絵がおかしいと編集部に電話したりもした。
なかでもこのステゴザウルスが異常に好きで、ずっと家で飼いたいと思っていたが、どういうわけか最後まで叶わなかった。
びっくりしたのがこのメモ。
幼稚園に入る直前、3歳の頃のメモだ。
僕は小学校の割り算の授業を病欠したおかげで、割り算に対する苦手意識をもって今日まで生きてきた。
…のつもりだったが、もっと前に図解までして18÷9=2と書いていたのだ。
病欠のあとにこのメモさえ見ていれば、僕は理系に進んだかもしれない。
*
実家の片づけは切ないが、自分を振り返る材料を親が残してくれていた。
過去に大きな意味はないとは思うものの、やっぱり自分を形づくる原形である以上、拘泥さえしなければたまに振り返るのはよいものだ。
さらにこんなものを見つけ、持ち帰ることにした。
へんいち家の家紋「左馬」だ。
なぜ家紋が馬なのか、なぜこの馬は後ろを向いて走るのか。
詳しいことは聞かずじまいだったな。
これ受け継いでくれるん? 嬉しいなぁ、と父が言ったような気がした。
前向いて走らないとこけますよ、と母が言ったような気がした。
責任もって家紋を受け継ぎ、そして前を向いて走ろう。
朝からちょっと背筋が伸びたような気がした。
(2024/9/29記)