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今日僕は500日目を迎える

おそらくそうなのだ。
今日僕は500日目を迎える。
昨日たしか499日と出ていたから。

書きはじめから一日も休んでいないので、連続500日目でもある。
ずっとエッセイを投稿してきたが、500日ともなるとこれはもう日記だ。

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大学を出て最初の就職は、東京の出版社だった。
希望どおり日本史の書籍編集部に配属になり、上司に誘われるまま、月一回日曜日に開かれる勉強会に顔を出すようになった。
ある大学の教授の自宅で行われるその勉強会は、『北野社家日記』を読むというものだった。

社家とは神社に専従で仕える世襲の神職のこと。
室町時代から江戸時代にかけて京都の北野天満宮の社家がつけていた手日記を、学生たちに混じって読んだ。

大学は理系でプログラミングなどやっていたのが、いきなりの古文書。
四苦八苦しながら読んだが、慣れてくると日記の面白さに惹かれた。
足利将軍の動向や領地の紛争など、戦国の世相を映す物騒な記述ももちろん多いが、人間くさい記録も残る。

延徳三年六月廿六日
一、就当所悪党事、等持院江立使者也、

(当所の悪党のことにつき、等持院へ使者を立てるなり)

六月
廿七日
一、就当所瓜盗人事、等持院江遣使者者也、

(当所の瓜の盗人のことにつき、等持院へ使者を遣わすものなり)

六月廿八日
一、就盗人事、重而等持院江遣人、

(盗人のことにつき、重ねて等持院へ人を遣わす)

大切な瓜が盗まれたらしい。
等持院に何度も使者を遣わしているのは、対応を協議するためなのか、はたまた疑っているのか…
今からちょうど530年前のミステリーである。

読んでドキドキするような、簡潔でいて臨場感あふれる日記。
社家にしてみたら、人に読まれるなんて思わず書いただろうけど。

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僕の500日分の記事は何か価値があるだろうか。
500年後、誰かがこのnoteを開いて研究したりするのだろうか。

それより本当に今日が500日目なんだろうか。
この記事を上げてみなくては分からないのがつらい。
もし違っていたら、こんなに恥ずかしい記事もまたとない。

(2021/6/29記)

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