半魚人が棲んでいるに違いない
子供の頃、ウルトラマンシリーズが好きだった。
勢い、そこに登場する怪獣の名や特徴はすべて記憶することとなる。
好きな怪獣はいくつかあって、そのうちのひとつが半魚人…えっと…
あれ? 君の名は?
調べてみると、「海底原人ラゴン」がそれにもっとも近い。
プロフによると、海底に棲む原人が原爆の影響で巨大化したのだとか。
うーん、記憶ではダム湖に沈んだ古い集落の一人が怨恨の念で怪獣になったはずだったが、全然違う。
幼い記憶はまったくあてにならない。
*
僕は、村おこしの手伝いで愛媛の山あいの村に20年間暮らした。
高速道路のインターチェンジがなければ、陸の孤島といってよい村だ。
昔は鉱業が盛んで、たいそう賑わったそうだ。
昭和30年代には6,000人を超す人口を抱えていたらしい。
ところが、その村にダムができることになった。
治水ダムなら村の安全を守る役割もあっただろうに、そうではなかった。
隣町で大規模な製紙業が興り、そこに大量の水と電力が必要になったのだ。
村にはまったく無関係な用途であるばかりか、ダムの下流にはほぼ放流がなくなるため、魚は死に川は腐り、村中に悪臭が立ちこめる。
自然いっぱいの村が隣町のために毒されるのだ。
村人の多くは急峻な山あいを避け、平地を求めて川の近くに住んでいた。
そこにダムができる。
多くの集落が水没するから、村人は隣町への移転を余儀なくされた。
6,000人いた村人は、ダムの建設とともに3,000人に半減したという。
ダム湖の底には集落がそのまま沈んでいる。
*
日照りが続いてダム湖の水位が下がったら一度見に行くがいい。
村人の怨念がそこにあるから。
そう聞かされた。
20年もいれば何度かそんな日照りはあった。
でも、怖くてとても見に行く気にはなれなかった。
水没した怨念の集落。
半魚人が棲んでいるに違いない。
子供たちにそう言いきかせた。
そうやって何度かの日照りをやりすごしたが、また日照りの年があった。
ダムの建設時に標高の高いところに付け替えられた道を車で走りながら、何気なくダム湖を見た。
…ある…何かがある。
興味津々の子供らが後部座席で、あれ何? 見に行こう?とうるさい。
怖いながら見てみたい気もあった僕は、子供たちといっしょの今なら行けると意を決し、脇道からダム湖に下がっていった。
さきほど、はるか上からちらっと見たのは…
小学校の跡だった。
建物は取り壊されたのか木造だったのか、すでになく土台のみが露わに。
校庭に埋め込まれたタイヤの遊具は、色も形もそのままに、干上がった湖底から顔を出していた。
その瞬間、校庭を駆ける小学生の笑い声が聞こえた…気がした。
怖い! アカン! ここにいたらきっとひび割れた湖底の泥の中から無数の手が出てきて足を摑まれ、引きずり込まれる!
もちろんその手の主は怨念に満ちた半魚人だ。
僕は半魚人が伸ばしてくる手をふりほどき、急いで子供たちを後部座席に乗せ、アクセルを踏み込んだ——
*
半魚人見たかったなぁ。
子供がポツリと呟いた。
え? 何言いよん! 見たいも何も、いっぱい手が泥から出てきて…
…あれ? 何も起きんかった? え?
こっわ…
(2024/9/6記)