うまい玉子焼で旅をそっとしめくくった
10歳までを過ごした明石の家に、40年ぶりに行ってみた。
当時すでにボロボロの家だったし、消えてなくなっていることも覚悟して。
近づくにつれ、緊張が増す。
もうすぐ見えるであろう位置でいったん足を止め深呼吸、そして…
あった! まだあった!
周りはすっかり変わっているのに、このボロ家だけポツンと残っていた!
ぐっとこみあげてくるものがあり、みるみるうちに涙があふれた。
3軒長屋のアパートで、この写真でいえばいちばん右側に住んでいた。
横にあった鉄工所の鉄を削る高い音と金気のにおい、手前の空き地にあった製材所の木を切る音と木の香りがまるで昨日のことのよう。
空き地を抜け、正面に回り込んだ。
思い出せる限りで間取り図を描いてみた。
ここに家族4人で肩を寄せ合って暮らしていたのだ。
しばらく家の周りをぐるぐるしたが、10年間のあれやこれやが脳裏に浮かびつ消えつ、あふれる思いが重すぎて、家を後にした。
ありがとう、本当にありがとうと言い添えて。
駅前の、父がよく飲んでいた飲み屋が現存していた。
現代アートみたいな看板をかけて、今も元気なのが嬉しい。
夜、父が家にいない時、ここへ探しに行けばたいてい赤ら顔で飲んでいた。
この角を曲がって、最寄り駅の山陽電車・西新町駅。
当時は地上駅だったが、今はこぎれいな高架になった。
かつて線路やホームがあったあたりに立つ。
ここでかみさんの作ってくれた弁当を広げた。
今日は息子が中学最後の総体で、おこぼれに与ったのだ。
朝ベランダで摘んだパセリとともに。
目を閉じれば思い出される古い駅舎、赤茶けた鉄さびのにおい。
その跡地のベンチでサンドイッチを食べることになるとは、40年前には想像だにしていなかった。
そのまま明石の中心まで電車一駅分を歩いた。
当時ケンタッキーだったコンビニは、とんがり屋根に面影を残している。
しょっちゅう来ていた〈魚の棚(うおんたな)〉に久々に足を向けた。
あいかわらずの賑わい。
明石のタコはもちろん生きてウネウネ動き、この鮮度で1匹800円から。
子供の頃、必ず食べた〈くるみや〉のソフトクリーム。
明石に来たら食べずにはおれない。
通っていた小学校にも行ってみた。
さっそく守衛に不審がられたので、40年前の卒業生だと説明し、撮影の許可をもらった。
中学校にも行ってみたが、こちらは統合されて神戸に移ってしまったため、使われていない校舎がうら淋しい。
このほか港へ城へ、半日うろうろして、足はパンパン、もうくたくた。
お土産に、小学生の頃祖母とよく行った〈こだま〉で玉子焼を頼んだら、20分かかるからどっかで時間潰しとってと言われ、近くでコーヒータイム。
そして熱々のまま持ち帰った玉子焼。
あんなボロ家でも僕の原点。
見に来てくれてありがとうと返ってきた気がする。
製材所だった裏の空き地に大きな商業施設の建設計画があるらしい。
きっとその時、あの家も取り壊しになるはずだ。
おそらく僕ももう行くことはないだろう。
うまい玉子焼で旅をそっとしめくくった。
(2021/6/27記)