黒豆ビギナー(NO1、白木蓮日記)
30日の朝一番。
黒豆を洗い、熱い煮汁に浸し8時間。
夕方からコトコト炊き始める。(関西では煮る事を炊くと言います)
几帳面な母の字が並ぶレシピを横目に見ながら、噴き上がるアクをお玉で何度もすくう。
こんな面倒な事を後何年続けるのだろうかと、ちょっとイライラ。
それもその筈。
昨日からおお慌ての大掃除に、立ちっぱなしの2日間。
もう明日は大晦日。
気持ちは焦るが既に身体がギブアップ。
若い頃とは違うのよ。
その上に、手間のかかるお節造りを今年も又、始めてしまった。
毎年、
「今年こそお節を買うぞ!」と、意気込んでみるが、いざ歳の暮れが迫ってくると落ち着かなくなり、丹波の黒豆をスーパーの籠に放り込む。
コロナが広まった最初の秋に、両親が老人ホームに入居するまで、黒豆を炊くのは、長らく母の役目だった。
小学生の頃(昭和40年代)、お節料理で印象に残っているのは何故か、変わり映えのしない黒豆だ。
私が生まれ育った関西の漁師町では、大晦日が近づくと、八百屋の店先には大鍋が置かれ、その中には、店主がお客さん達に頼まれて炊いた黒豆が、たっぷりと入っていた。
漆黒の煮汁に浸っているのは、同色の牛蒡と蒟蒻。
唯一の彩りである黒ずんだ京人参が、所々から顔を覗かせている。
そして、忘れ難いのが「しわしわ」の黒豆だ。
当初は母も、その黒豆を買っていたのだと思うが、いつの頃からか、自分で炊くように
なっていたように思う。
けれどその黒豆も、八百屋同様の具材と共に炊いた「しわしわ」豆だった。
子供心に、外食先で見る黒豆は皮がピーんと張って垢抜けてるのに、何でうちの豆は、もっさりと皺が寄っているんだろと不満が募り、
「お母ちゃん、うちも垢抜けた黒豆炊いて」
お正月が来る毎に、母に訴え続けた私であった。
その願いが叶ったのは、私が高校2年の時である。
そのお正月。
友達の家にお呼ばれして出された黒豆が、全く皺が寄らずに艶々で美しく、感激した私は、家に戻るなり開口一番、
「お母ちゃん、
Mちゃんとこのお母さんは、皺の寄らへん黒豆、上手に炊いてたで」
と、友達のお母さんを誉めたのだ。
その歳の暮れ。
母は始めて「垢抜けた黒豆」を炊いてくれた。
どう言う風の吹き回しか聞く事も無かったが、私の情熱に
根負けしたのだろうか、それとも、友達のお母さんへの対抗意識だったのだろうか。
わけはともあれ願いが叶い、台所に行く度にそっと鍋の蓋を開け、垢抜けた黒豆を見るのが楽しみな私であった。
それを皮切りに、母は料理研究家達のレシピを見ながら工夫を重ね、半世紀近くかけて母の黒豆の味が出来上がって行った。
30年近く前に嫁いだ後も、
母の黒豆はお正月の楽しみだった。
年末に帰省すると真っ先に台所に走り、
「お母ちゃん、黒豆はどんな具合?」
注文が多く食べるのだけが楽しみで、母を手伝いもせず、労わりもせず。
我ながら、甘えるばかりの勝手な娘だった。
甘えていた事に目が覚めて、大慌てしたのは三年前の年末である。
コロナ禍のその秋から、母は父と共に老人ホームに入り、
今回からは、私が1人で黒豆を炊かねばならない。
主婦歴30年の黒豆ビギナーである。
そんな時も来ようかと、以前、母に書いて貰ったレシピを取り出し、母から受け継いだ錆びた釘も、引き出しの奥から引っ張り出す。
いざ炊いてみると、重曹を入れれば黒豆はふっくらするし、時間はかかるが思いの外、簡単なレシピだった事が意外でもあったが。
「けどお母ちゃんの味とは、イマイチ違うわ」
黒豆ビギナーは頭を捻る。
次の年からは母のレシピを基に、料理研究家達のレシピをエッセンス的に加え、仕上げにブランデーを入れてみたり、工夫を重ね三年目。
今回やっと、私の味らしき黒豆が出来上がった。
豆が炊き上がるとイライラも消え去り、心の底がほっこり
と温まる。
「お母ちゃん、私の黒豆を何て言うやろ?
ちょっと心配やけど」
歳が明け2日。
両親がホームから帰って来た。
四年振りに揃った家族と共に囲む、お正月の食卓は嬉しいものだ。
92歳の父と88歳の母は、共に食欲旺盛。私の料理を美味しそうに平らげて行く2人。
さて、気になるのは黒豆の出来であるが、
「まぁ!皺も寄らんと上手に炊けるようになって」
少し驚いたような母の言葉が印象深い。
故郷の実家は8年前に人手に渡り、思い出だけが心に生き続けている。
母が黒豆を炊き、父と共に、1人っ子の私の帰省を待ちかね、迎えてくれた歳の暮れ。
あの頃は当たり前に思えた事が、いかに恵まれた事であったのかを、今更ながら思い知り、思い出す度に涙が滲んで来る。
還暦を過ぎた今。
老いた両親を私が迎える身となり、こうして人は、人の心の機微を学びながら、歳を重ねて行くだろうと実感している。
還暦過ぎの黒豆ビギナー。
面倒がりながらも、私はきっと今年の暮れにも又、黒豆を炊くのだろう。
娘のままでいられた時代。
甘えていられたのは、両親の愛あってこそ。
その愛おしい想い出を胸に抱きながら。