僕が地無し尺八をはじめたきっかけ。
みなさんこんにちは!何とか3日連続で記事を書いていますよ。
倍音音楽家の青山雅明です。
地無し尺八を始めて約20年ほどになります。今日は僕が地無し尺八を始めたきっかけについてお話ししておきます。
僕は以前は倍音Sという倍音をテーマにしたユニットでホーメイや口琴を演奏したりディジュリドゥを吹いたりしていました。
倍音Sとは日本初のホーメイバンド、倍音系バンドということで、話題を呼び楽器もイギルや口琴、ドシュプルール、タブラ、ディジュリドゥなどたくさんの民族楽器を使い、いろんなところでライブをおこなっていました。
オリジナルメンバーはリーダーの尾引浩志、岡山守治(現、東家孝太郎)、青山雅明、徳久ウィリアム、AYAYAの5人です。(今もそれぞれに、活躍、活動しております。)
東家孝太郎と青山雅明は現在カムヒビKINGというユニットもやっております。
2000年に日本トゥバホーメイ協会代表でもあるヒカシューの巻上公一さんのツアーに参加して倍音Sや仲間たちとロシア連邦トゥバ共和国のハンダガイテという遊牧民が暮らすホーメイの聖地を訪れゲナディ・トゥマットフェスティバルに倍音Sで出演してグループ部門第2位を獲得しました。パチパチ!
そして草原で夜な夜な焚き火を囲んで演奏しているときトゥバのミュージシャンの方に日本の楽器を何か演奏して欲しいと言われて、みんないろんな楽器を演奏するけれど、日本のオリジナルの楽器が何も出来ないなーと思い帰国してから、何か日本の伝統楽器をやってみよう!思ったのがきっかけでした。
その頃はディジュリドゥという呼吸を使う楽器をやっていたため、自然と呼吸を使う尺八に興味が向きました。
尺八の音色も好きでしたし、呼吸も禅的な感じで日本の楽器をやるなら尺八しかない!と思い、色々音源を聞いたりしているうちに武満徹さんのノーベンバーステップスに辿り着きました。
なんか、ものすごい緊張感ですね!
ここで尺八を吹いている横山勝也先生に習いたいと思い、青山のカルチャーセンターで横山勝也先生の教室があることを知り、通い始めました。
当時横山先生は脳梗塞で活動をお休みしており、お弟子さんの先生たちが教えてくれていました。
最初は音を出す練習をするたびに頭がクラクラして気持ちよかった覚えがあります。w
尺八を習い始めて数ヶ月たったある日のこと、友人のくーちゃんが
「青山くんのやっている尺八は近代の尺八で、青山くんが尺八をやるのなら昔から伝わる地無し尺八を吹いている先生を紹介したいよ」と言ってくれて、国分寺の禅茶房に行きました。
今の師匠、奥田敦也先生との出会いですね。
確かに音色が全然違う!無音から滲み出てくるような柔らかな音色で奥田先生の音色を聴いていると意識がふわーっと拡がってゆく感覚。
身体と空間の境界線がなくなってゆくような、時間の感覚がなくなってゆくような。これが竹本来の音なのか!と衝撃を受けました。
すぐに禅茶房に入門しそこからずっと地無し尺八(法竹)を吹いています。
奥田先生は昔ジャズトランペットを吹いていたので幅広く音楽のことを教えていただけたり話もとても楽しいので、いまだに稽古の日が待ち遠しいくらいです。
2002年に入門したのであっという間に19年たってしまいました。
地無し尺八は、竹藪に竹を掘りにゆくことからはじまり、自分で尺八を作ります。
薮の中で自分の竹と出会えた瞬間の喜び。
竹藪のなかを吹き渡る風の音。
自然と一体となることが法竹の真髄なんだなーと感じました。
奥田先生と長野に竹を掘りに行った時、海外からも沢山の参加者がいて、日本では吹く人が少なくなってゆく一方の地無し尺八ですが海外ではこんなに興味を持たれている!
そして、その竹の音色の中には人間がコントロールしきれない微細な倍音が踊り、呼吸を通じて自然や宇宙とつながるような瞑想的な感覚があります。
こんなに素晴らしいものが日本にあるのに、日本ではあまり知られていないのはなんとも、もったいない。
僕は世界的な法竹奏者になって、世界中に日本の法竹の素晴らしさを広めようと日夜精進しております。
ずいぶん長くなってしまいましたが、僕が地無し尺八を吹き始めたきっかけです。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。