煉瓦色のことば
私が音楽用語の次に覚えたイタリア語の単語は[鉛筆](la mattita)だった。なぜかと言えば, 私たちオーケストラプレイヤーが鉛筆なしにその日のリハーサルを終えることはまずないからである。 楽譜は初めは何も描かれてないまっさらな状態なのだが、演奏会までにほぼ書き込みでいっぱいになる。 それは主に指揮者が指示したテンポのことであったり、演奏の仕方についてであったり、何よりも弓の上げ下げ(ボウイングと呼ばれる)に関する書き込みである。このボウイングに関しては、リハーサルの間ひっきりなしに書き込む(文字ではなく記号である)ことが多く、時には演奏する暇がないほどである。 ボウイングはコンサートマスター(*1)が決めるのであるが、リハーサルの間に決めていくことがほとんどなので初日は大変だ。 自分がデッサンをしに来たのか, 楽器を弾きに来たのか分からなくなる時があるくらいなので、スタンドパートナー(*2)のクリスティーナはよく、私がしかめ面でコンサートマスターの決めたスラー記号(緩やかなカーブを描いた記号で、音と音をつなげることを表す)を書きこんだり、さらにまたそれを消して書き換えている最中に、"私たちは音楽家でもあるけれど、三流の画家でもある!" と冗談を言って笑わせてくれた。
つまり消しゴムで書いては消し, 書いては消しというのを繰り返す作業は、ある意味でデッサンの最中のようであるが、ここでのデッサンは明らかに芸術家のクリエイティブさというよりも、事務員の正確さが求められる単調な”写し”の作業である。だから、”そこの鉛筆取って” ”あれ、鉛筆がない!” ”誰か鉛筆貸して”など、頻繁にこの「鉛筆」という言葉が会話に現れて来るのである。そのせいか今でも私の頭の中で「鉛筆」は自然とイタリア語のイメージと繋がっている。身体的に言うとそれは、初めに「マ」という柔らかい音が唇の間から短くはじき出され、続いて出番を待っていた「ッティータ」が少し甘えたように飛び出し、でも発音してみると意外と乾いた感触が舌の上に残るのである。 もしも言葉に色というものがあるなら、私にとって「マッティータ」は間違いなく「煉瓦色」であるのもずっと不思議である。
「言葉」というのは毎日話していてこそ自然に口から出てくるものであると私は確信しているし、その確信はまさにこの「鉛筆」という言葉からもたらされたとも言える。
言い換えれば言葉は、毎日「耳で聞いて真似すること」で自分のものになっていくのである。どんなに頭でわかっていても、使わなければ言葉が口から飛び出すことはない。そういうところはむしろスポーツに似ていて、反射神経のようなものだと私は感じている。だから一つの言葉を繰り返し使えば使うほどいい。 それはむしろ勉強というより日常から言葉というものを自分の体内に取り込んでいくような作業である。
私がきちんと学校に通って勉強したドイツ語よりも、ずっと早くにイタリア語を日常会話として使いこなせるようになったのは(ドイツ語は使わなくなったのですっかり忘れてしまった)、私が赤子のように周りから聞こえてくる言葉やフレーズを真似して、覚えるそばから使っていったからだと思う。 幸運なことに私の場合、そのような機会はオーケストラの仲間からもたらされた。仕事の後に誰かの家でご飯を食べるとか、映画やピッツェリアに一緒に行ったりという状況の中でイタリア語を聞いていると、1日に何十回と耳にするフレーズなどがあり、それらはもう「覚えざるを得なかった」というしかない。
もうひとつ、言葉の上達に関しては映画やテレビという存在も大きい。私はミラノでとにかくよく映画に行った。 映画が好きなことはその一番の理由だけれど、幸か不幸かハリウッド映画もフランス映画もイタリアの映画館というのは全てイタリア語吹替だったのである(今はわからない)。オリジナル音声と字幕でみられるのは、ごく限られたインテリ向けのミニシアター(仏文化会館とか細々とやっているシネクラブなど)だけだったのだ。 はじめは訳も分からずに観ていても、そのうち少しづつ慣れてくる。普段使っているフレーズは当然すっと頭に入ってくるし、前後関係から憶測もできる。とは言え、やはり初めの2年間くらいは大変だったというしかない。楽しさと大変さが等しい感じだ。そんな中で当然ながら、良識のある女性が使ってはいけない(であろう)言葉も次々に覚えていった(むしろ日常会話ではそちらがカジュアルなのである)。 ひと通り会話がこなせるようになってきた頃、会話の中で自分の口がイタリアで最も有名なスラング・フレーズを連呼していることにふと気付いた瞬間があった。私がもし子供であったら、間違いなく親に口を塞がれていたことだろう。自分でも大分ぞっとしたのだから、おそらく聞いた相手はそれ以上にショックを受けたに違いない。それ以来気を付けて話をするようになった。アーメン。(続)
*コンサートマスター: 第一バイオリンのトップに座っている奏者。リーダー。オーケストラ全体のチューニングを行ったりソロ・パートを演奏することもある。
*スタンドパートナー: 一緒に譜面を見て弾く相手。