無本番・練習日記2021年5月17日~5月23日
2021年5月17日(月)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
音階(C-dur , a-moll)
クロイツェル:42の練習曲
湿気で楽器が全く鳴らない。こういう時はバロックにせよモダンにせよ、出す音量に関しては自分でどうこうするよりも、楽器に任せることにしている。大きな音を出すことが練習の第一目的ではないし(必要な場面で必要な分量を出す練習は必要だとは思うけど)、そういう音を弾き散らかしただけで満足してしまうことの方が問題ではなかろうか。
バロックヴィオラは昨日捗らなさ過ぎたジェミニアーニの10番と、加えて11番。捗らないのは今日も変わらずだが、10番が最後まで弾けたので良しとする。バロックヴィオラはさすが湿度には敏感で、調弦するたびに糸巻がギチギチと音を立てる。今年は梅雨入りが早いそうなので、しばらくはこの調子か。
モダンは音階と、クロイツェルの26番。この辺りはヴィオラのレッスンでやった形跡がある。先生のご自宅で弾いた記憶があるので、大学受験~大学入学前辺りか。残念ながら先生がどのように弾いていたかは記憶に留めておらず。
昨日よりマシになったとはいえ、今日も練習は捗らない。時間が迫っていたのをこれ幸いと、クロイツェルを弾き終えたところで練習切り上げ。
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2021年5月18日(火)
ドヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための6つの協奏的二重奏曲 Op.5
F.A.ホフマイスター:フルートとヴィオラのための3つの協奏的二重奏曲
音階(C-dur , a-moll)
クロイツェル:42の練習曲
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番
手帳を見て、明後日がフルートとの合わせ日であることに気付き、青くなる。例えるならカレーのルーだけ作っておいて御飯を炊いてない、みたいな。明日は練習時間が取れないので、まずは明後日の練習から。
ドヴィエンヌの二重奏2番・3番とホフマイスターの二重奏2番、細かい練習を挟みつつ全体を見ていく。こうして全部弾くとこの時期それなりに汗をかくし、集中力を使うことがわかる。
音の反応が鈍い箇所など普段は右手のコントロールなど色々考えるけれど、最近の練習効率の低下から複雑な作業はあまりやりたくなかったため、右手ができる最低限のこと「弓を手から取り落さない」ことだけを気を付けることにした。「これをしよう、あれをしよう」と頭だけで考えた余計な横槍を入れずに済むので、脳みそが沸騰しそうな時には有効な方法なのかもしれない。結局今日の練習は「弓をちゃんと落とさず持ってる私、エラい」で乗り切ることになった。
モダンヴィオラは音階とクロイツェルの19番、バッハの無伴奏チェロ組曲第4番のCourante。「弓を取り落とさないこと」、あとの細かいことは楽器と自分の身体に任せた。ただこのやり方、バロックとモダンで効果の出方が異なるらしい。とはいえ今日もジメジメしているし練習内容もそれぞれ違うので、効果の出方はまたの機会に確認することにしよう。
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2021年5月19日(水)
他用のため練習お休み。
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2021年5月20日(木)
合わせのため、個人練習お休み。
F.A.ホフマイスター:フルートとヴィオラのための3つの協奏的二重奏曲 2番
ドヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための6つの協奏的二重奏曲 Op.5-2
(雑感)アンサンブルをするのはいつ以来だろう。松脂などケースの外にまとめている小道具一式を鞄に入れ忘れてしまったことが、全てを物語っている。弓の毛がツルツルでなかったのは幸い。
アンサンブルは例えるなら料理を持ち寄るパーティーであることを改めて実感できる時間となった。お互いの立場が対等という二重奏の楽しさも、味わうことができた。どうしても「主旋律」「伴奏」で考えてしまうけれど、実はそういった時間の方が少なくて、圧倒的に「5:5」の関係で歩いていくことの方が多いようだ。
出身地や使用言語の違う二人の作品を連続して演奏したことで気付いたことは、普段使用している言語がいかに作品に影響を及ぼしているかということ。ちょうど良い音の太さ、通気性、感触、ありとあらゆるものが変わってくるのは興味深い。
この日の合わせで話題になったのはホフマイスターの譜面に書いてあった「dolce」の扱いについて。
まず2人で考えたのは、母国語ではなかったであろう言語の、単語に対する認識の違い。
そしてもう一つ。そうとは思えない場所も含め至るところに出てくるので、今「espressivo」のやたら書いてある譜面があるように、dolceも「うまく書けないけど何かやってほしい」という雰囲気を表すのに便利な言葉だったのではないかという推察。
学術的に正しいかどうかは知らない。
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2021年5月21日(金)
音階(C-dur , a-moll)
カイザー:36の練習曲
ヴュー:音程のための10の練習曲
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
今日も今日とて湿度が高い。結果として2日ケースを開けていなかったモダンヴィオラの練習を主に行う。その間、バロックヴィオラのケースも湿気対策のために開けておく。
合わせをした次の日は、音に対する認識が変わっている。個人練習をしているうちにこの感触があっという間に薄れてしまうのは寂しい限り。
音階を弾いて、明日のレッスンの予習も兼ねてカイザーの2番、3番。個人練習のために31番~35番を弾く。短いものばかり弾いていると演奏体力が落ちてしまうので、長い練習曲も弾いておこうとヴューを取り出す。こんな薄暗い雨模様の日に、なぜ譜面の見づらいヴューをわざわざ取り出したのか、己に問いたい。ヴューの10番で苦戦を強いられることとなった。
思いもよらない場所で突然指が違う動きをする、楽譜が見づらい、視線が音符でなく書き込みの指番号に吸い寄せられるetc.……。何かしらの障害によって、引っ掛からずに見開き1ページを通すこと叶わなかった。これはこれで悔しい。
最後にジェミニアーニの9番でバロックヴィオラの音出しを軽く行い、練習を終了した。
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2021年5月22日(土)
都合により練習お休み。
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2021年5月23日(日)
音階(C-dur , a-moll)
クロイツェル:42の練習曲
ヴュー:音程のための10の練習曲
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
昨日に引き続き今日も心身ともに練習という気持ちにはなれなかったけれど、一週間ぶりとも言える晴れの日に楽器を出さない手はないと思い、練習というよりはケースの蓋を開けることを第一の目的とする。
まず音階。続いてクロイツェルの22番。昔(ヴァイオリン時代)弾いた記憶が残っているが、それではいつまでもトリルが面倒くさい曲にしかならない。トリルと一緒に付いているアクセントの扱いを再考する必要を感じた。楽譜の情報をそのまま鵜呑みにしていては、どこか引っ掛かった(ストッパーから解放されない)演奏に留まってしまう。一度通してからは最初の数段を使って、トリルと腑に落ちるアクセントの両立を図る。アクセントはアタックのみを指すものではないと、ヴァイオリン時代に知っておきたかった。
ヴューは10番。冒頭の表記Tranquilloとdolce、曲調の関連についてこちらも考え直す。Tranquilloは楽語辞典には確かに「静かに」とあったけれど、木曜日にホフマイスターの合わせで話題に出たdolceと同じく、果たしてそれだけの意味に取ってしまって良いものだろうか。確かにイタリア語の意味はそうかもしれないけれど、フランス語の方に馴染みがあるであろうヴューが想定していたニュアンスは、違うものではなかろうかと。
楽譜の見づらさとも格闘した末、何とか共通の道を見出すことができた気がする。これを糸口に、次の練習へ繋げることにしよう。
バロックヴィオラはジェミニアーニの8~11番を逆順に弾いていく。どうやらあれこれ考えて弓を弦に置いた時よりも、何も考えず反射的に弓を弦に置いた時の方が、その場に合った音が出せるようだ。私が思っている以上に、自分の身体は様々な情報を蓄えているのかもしれない。自分自身のアンテナを信じること、忘れがちだ。大切にしなければ。