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【大正の少女雑誌から】#1 投稿欄という乙女の花園

『少女の友』『少女画報』など、大正・昭和初期の少女文化を花開かせた、少女雑誌の数々。その読者投稿欄から、当時の少女たちの素敵な言葉を拾い集めていくマガジンです。

少女雑誌との初めての出合いは、はたち前くらいの頃でした。
当時、弥生美術館で少女文化にまつわる内容の展覧会があって、少女的な世界観が好きだった私と友人は、誘い合って一緒に観に行きました。その展示品のなかに少女雑誌があったのですが、私たちが最も大興奮したのが、読者投稿欄のページだったのです。
当時の少女たちの、生の言葉が躍っている。内容、文体、ペンネーム、どれを取っても本物にしか出し得ないこの感覚。漫画や小説で憧れてきた、うるわしの乙女たちの世界が、そこには本当にありました。帰り道はもう大はしゃぎで、後日それらを真似たミニコミまで作ってしまったほどです。

数年後、雑誌編集者になった私は、偶然にも少女雑誌について取材する機会に恵まれました。時を経て再びながめた読者投稿欄は、やはりひそやかな花園のような魅力にあふれていました。
教養を感じさせる短歌や抒情詩、センチメンタルな自己紹介文、女学校でのユーモラスなこぼれ話。どの文章にも、瞬く間に消えゆく少女時代という、はかないもののかけらがきらきらと輝いていて、もう大人になった私にとってはまぶしく、切なくもありました。

そして令和のいま、noteというソーシャルメディアを得たことで、あの読者投稿欄をもう一度掘り下げてみようと思ったのです。
少女雑誌について専門的に解説されている文献はいくつもあるので、ここでは自分なりの視点で、少女たちの世界の美しさ、面白さ、いとおしさを発見していければと思っています。

さて、本題に入りますと、少女雑誌の読者投稿欄といえば、筆頭はやはり文芸作品でしょう。女学校時代から熱心に作品投稿を行い、のちにプロ作家になったのが吉屋信子ですね。短歌、小説、日記などさまざまなジャンルの作品が並ぶなかでも、特にきゅんとさせられてしまうのが、口語で書かれた抒情詩です。

蜜柑の思ひ出(長野 春日千浪)

まだ靑いとこのある
小つちやいこのみかん

このおみかん上げるわ
だからそのおくわしちようだい
くれなきやいゝわ
あそばないからいゝわ

すつぱい香りをかいでゐたら
こんな事を思ひだしたの

『少女画報』十五巻三号・大正十五年

孤獨を愛す(東京 武蔵野)

空でせう、
野でせう、
野菊でせう、
木立でせう、
落ち葉でせう、
あたしだけでせう。

『少女画報』十五巻三号・大正十五年

センチメンタルで、純粋で、ちょっぴり大人びて……。
おそらくは、少女雑誌側が提唱する「少女らしさ」に沿ったモチーフや作風というものがあって、少女たちはそれに寄せる形で作品を書いていたところもあっただろうとは思います。けれど、その「少女らしさ」は彼女たちを不自然な型にはめてしまうものではなく、むしろ子供と大人の間を所在なく漂う彼女たちにアイデンティティを与え、眠れる感性をスパークさせる起動装置になったのではないかと思うのです。
でなければ、当の少女たち自身がこれほど投稿に夢中になることはなかったでしょう。
そうして、懸命に綴られた文章のなかにちらりと垣間見える、子供のような率直さ。逆に、ちょっとお姉さんっぽく背伸びしたらしい可愛い作為。そんな無意識のきらめきにふれると、まさに二度と返らない少女時代の宝石を見つけた気がして、胸がいっぱいになるのです。

最後に、ライブに行けない今とちょっぴり重なる気がした作品をひとつ。

音楽會(長野 夜船涙子)

音楽會
行きたくて
行きたくて
たまらないんです
行つてもいゝわつて
病気の妹が
涙をためて
云ひましたけど

『少女画報』十五巻三号・大正十五年

音楽会には、おそらく姉妹で出かけるはずだったのでしょう。姉の心を察した妹は精いっぱいの気遣いを口にするけれど、そんな子をとても置いては行けない。でも、本当は行きたくてたまらない。そんな心が後ろめたくて、苦しくて──
みんなライブを我慢しながらも本当は行きたい今、このお姉さんの気持ちもなんだかわかる気がして、親しみが湧いてしまいました。ペンネームも素敵ですね、涙の河に浮かんでいる月夜の小舟……

第1回は、以上です。
初回ということで前置きが長くなってしまいましたが、次回からは前置きなしで、素敵な言葉をどんどん取り上げていきたいと思います!


※引用についてのお願いです。


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