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私の陰翳礼讃


最近、お味噌汁をよく作っています。
お味噌汁の具を食べ終えて、汁だけになったお椀の中を覗くと、下のほうに味噌が丸く沈んでいる。暗いお椀の虚空に浮かぶ、朧月。
小さい頃の私は、これを見るのが好きでした。

その頃私は食が細く、好き嫌いも多かったので、お味噌汁を飲むのにもずいぶん時間がかかっていました。中に入っている豆腐やねぎを、がまんしてようやく食べ終えると、お椀の中に月が出る。雲にまぎれて輪郭がぼんやりしている月は朧月というのだと教わっていたので、私は「これはおぼろづきだ」と、名前がわかって得意でした。
あのお月さまが楽しみで、お味噌汁をなんとか食べていた小さい私は、いっぱしに陰翳の美を楽しんでいたのかもしれません。

陰翳を楽しむといえば、おやつのぶどうゼリーもそうです。
小学校から帰ると、冷蔵庫にいちごとオレンジとぶどうが3つ連なったフルーツゼリーがあって、私はいちばん好きなぶどうのゼリーを、父の台湾土産の七宝焼のスプーンで食べるのがお気に入りでした。
濃い紫色に透き通ったゼリーは、アメジスト。私の生まれた2月の誕生石は、紫水晶、アメジストだと教わっていたので、やはり私は心の中で「これはアメジストだ」と、得意になっていた気がします。その、柔らかいアメジストを七宝焼のスプーンですくうと、濃い紫色の向こうにスプーンの絵柄が透けて見える。絵の中の蝶や花が、紫色の海の底に沈んだように見えるのをひとさじひとさじ確かめながら、私はゆっくりゼリーを食べました。

日常の中にきれいなものを見つけるのは、小さい頃のほうが上手かったかもしれません。今思えば、お椀は高価な塗椀などではなかったし、七宝焼のスプーンも5本セットで免税店に売られているようなものだったのに、そんなものでも幼い目には十分夢を見られました。
今ではもう、いろいろな驚きに慣れてしまったけれど、何かにふと見とれたり、ささやかなものを愛でたりするような素直さは、なるべく持ち続けていたいと思います。そのほうが、毎日はずっと幸せになるから。


追記:タイトルを書いたとき、どうも既視感があるなと思って調べてみたら、金子國義先生でした。このタイトルでテレビに特集されていたり、「僕の陰翳礼讃」という水彩画も描いていらしたり。
同じタイトルをお借りしてこんな他愛もない話を書いていたら先生に叱られそうですが、叱られながらもう一度、いろいろなお話を伺いたい気がします。

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