【大正の少女雑誌から】#2 十五、十六、十七と
あたしの人生暗かった……ではなく、少女雑誌の投稿文には年齢に言及しているものが多い、というお話です。
たとえば「十六の春」「十五の君」というように、年齢は少女時代を表す記号として、投稿作品から文通コーナーまでよく出てきます。
下の図は文部科学省HPの「学校系統図」からお借りしたものですが、大正期の高等女学校には4年制と5年制があり、12歳〜17歳までの女子が通っていたそうです。
つまり、当時の少女たちにとっての「青春」とは、この17歳くらいまでを意味したのでしょう。女学校を卒業すれば結婚、あるいは在学中に縁談がまとまる子もいたようです。
少女雑誌を読んで詩の世界に遊んだり、同級生と笑い転げたりしていられるのは今だけだと、みんなわかっていたのですね。
そんな、花のようなはかなさを憂うセンチメンタルな感情を、文章で表現して共有することが、この読者投稿欄というサロンの役割だったのかなと思います。
ちなみに、投稿文のなかには「二六のあたし」「二八の我」といった言い回しもときどき出てくるのですが、これは26歳とか28歳というのではなく、「にろく=12」「にはち=16」という意味かな、と思っています。調べてもなかなか出てこないのであくまで推測なのですが、とてもおしゃれな言い回しではないでしょうか。
さて、締め括りには、読者感想コーナーに寄せられていたこんな一文を。
椿の花が落ちる、という暗喩は、泉鏡花『陽炎座』、大島弓子『アポストロフィS』にも登場します。
風に吹かれていつかは落ちゆくさだめなら、せめてその日まで美しく。命のかぎり咲けばこそ、散るときもまた美しく見えるでしょう。
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