抄訳・源氏物語〜桐壺 その七〜
源氏の美しい子供の姿をいつまでも変えたくないと、帝は思っていたが
12歳になった源氏は、元服の式を行うことになった。
源氏のための式は、帝自ら全て指示して準備を行った。
源氏よりも先に行った春宮の元服の式には紫宸殿を使っての盛大な式だった。
帝は源氏にはそれ以上の、引け目を感じさせない立派な式させてやりたかった。公式的な式では物足りないと思って、各場所で豪華を極めた式を行った。
清涼殿の東面の庭に、座敷が用意されていて、そこに玉座の椅子が置いてる。
元服する源氏が座る椅子と、加冠役の大臣の席もある。
午後四時に、髪を左右にふり分け、耳上にて白紐で結び、紐の先端とともに髪が両胸前に垂下した、童形の源氏が現れた。
髪を切る役目の大蔵卿は、少年の美しさを元服によって失ってしまうのは、惜しい気持ちでいる。その様子を見ていた帝は
「御息所とこの式を一緒に見れたら、どんなに良かったことか…」と桐壺の更衣を思い出して涙していた。
加冠が終わって、源氏は大人の正装に着替えてから東の庭に降りてきた。
その姿を見た参列者一同は、あまりの美しさに感激の涙をこぼしていた。
もちろん帝も。藤壺の宮が入内してからは、気が紛れることもあったが、
更衣を失ってしまったことの悲しさが、また再び胸に戻ってきてしまった。
まだ心の悲しさは癒やされてはいなかった。
「まだ小さい源氏を大人と同じ姿にしては見劣りしてしまうので」と心配していた帝だが、可愛らしさも加わった立派な貴公子ぶりに驚きつつも、誇らしげに見ていた。
加冠役の大臣は、桐壺帝の同腹の妹の内親王と結婚した、左大臣がした。
左大臣と妻の内親王との間には一人の姫がいて、春宮から「ぜひ後宮に入内して欲しい」と望まれていたが、どうしたものかと悩み、帝へ相談したところ
「それなら元服後の源氏の世話を頼みたい。後見人になってくれ。
そこで姪でもある、そなたの姫を添い臥しとしてもらえないだろうか」と提案されていた。
宴の席では親王方の席の末席に座っていた源氏に、左大臣が娘の件をほのめかしたが、幼い源氏は恥ずかしく、どのような返事をしたらいいかわからなかった。
内侍が「帝がお呼びです」と伝えにきたので、左大臣はすぐに帝の側に行った。加冠役の下賜品を頂き酒杯の時に、帝が
〜いときなき初元結ひに長き世を 契る心は結び込めつや〜
息子が元服をしたが、そなたの娘との間に結ぶ、末永い仲を源氏とは約束できたのか
と、公の場で言われて、左大臣は「はっ」と驚いて
〜結びつる心も深き元結ひに 濃き紫の色し褪せずは〜
元服の時にした約束は、心深いものとなるでしょう。その濃い紫の色さえ変わらなければ
と返歌をして清涼殿を降りて拝礼をした。
この日の宴は春宮の元服の時以上に盛大であった。
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元服は大人の仲間入りになる儀式。
成人式は20歳だけど、平安時代は12歳〜15歳ぐらいで大人扱い。
平均寿命が短い時代だけど、人間の体と脳の成長なんて今も昔もそんなに変わらないと思うんだけど。しかもこの時代は数え年だから実質11歳ぐらい。
子供ですやん。小学校5年生ぐらいですやん。なのに添い臥しまで…
添い臥しとは、最初のお相手です。12歳でね。大変です。
何かにつけて帝は第一皇子(春宮)との差を埋めようと源氏にはいつも立派な式をしてくれます。でもこれからは左大臣が後見人になってくれるので、一安心。
左大臣家の娘の母は内親王なので、娘が春宮の妃になれば、皇后にもなれる立場。もしかしたら未来の帝の外戚になれたかも。を蹴って源氏の嫁にしたのは、右大臣家に飲み込まれる恐れがあったから。
階級制で言うと左大臣>右大臣となる。
この時の勢力図は、源氏>春宮になっているので、ここで春宮に娘を嫁がせると、帝から裏切り者と思われてしまうし、右大臣家の下のなってしまう。
あ〜、すでに政治的なことが繰り広げられてる。
そう、源氏物語は椅子取りゲームの話です。色恋沙汰もあるけど、
結局は政治の椅子取りゲームです。誰が一番良い席に座れるか。
娘たちを使って、政略結婚をさせて、誰がより帝に近づけるか。
帝が「だるまさんが転んだ」と言って振り向くたびに、誰が一番近くにいるのか。怖い怖い。
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