抄訳・源氏物語〜帚木 その四〜
「私は愚か者の話をしよう。」と頭の中将が話し出した。
「私にはこっそりと通う女がいました。最初は軽い関係を続けても良い様子だったので、そんなに長続きすると思っていなかった。だが何度か会ってるうちに、愛しい人と思うように。
たまにしか会えないのに、女の方はすっかり私を頼りにするようになってきて、流石に恨言を言ってくるだろうと思った時でも、その女は何も言わない。かなり間を空けて会いに行っても、毎日会っているかのように振る舞ってくれるので、いじらしく思えて将来の約束事などを言いたりしていた。
親のいない人だったので、私だけが頼りなのだと、何かの折にふと見せる様子が、可憐でいじらしかった。女が大人しくて、おっとりとしていることを良い事に、長い間会いに行かなかった時期があったのだが、その時に私の妻の知人から酷い事を言われていたらしいのです。私は後から聞いた事なので、そんな可哀想なことがあったことも知らず、心の中では忘れることはなかったのに、手紙も書かず、会いに行くこともなかった。女はずいぶん心細く思って、私との間にできた小さな子のことも心配だったようで、手紙に撫子の花を添えて送ってきました。」
と、中将は涙ぐんでいました。
源氏が「それで、その手紙にはなんと?」と尋ねると
「いや、格別なことは書いてありませんでした。
〜山がつの垣は荒るとも折々に
あはれはかけよ撫子の露〜
『私のような田舎者で荒れ放題の家ですが、時々でいいのです、可愛がりに来てやってください、この幼い娘を』
ただ、その手紙を見て思い出したように訪ねに行きました。
女の方は怒ってるわけでも、拗ねてるわけでもなくいつも通りに穏やかな感じではいましたが、やはりどこか物思い顔で、その姿が昔物語を見ているかのようでした。
〜咲きまじる色はいづれと分かねども
なほ常夏にしくものぞなき〜
『庭に色々と美しい花が咲いているが、やはり常夏の花が一番美しく思いますね』
と、言って、まずは幼児よりも先に親の機嫌を取り、
『まずはチリでも払おうね。』などと言っていると
〜うち払ふ袖も露けき常夏に
あらし吹きそふ秋も来にけり〜
『来ないあなたを待ちながら、床に積もるチリを払って袖を濡らしていました。
さらに激しい嵐が吹き込んで来る秋ですが、私に飽きたあなたを恨めしく思います。』
とさりげなく返事をしてきたから、そんなに怒っていなかったと思い込んで、
また私は安心してしまって、再び通うのが途絶えてしまった。
そうしたら跡形もなく姿を消していなくなってしまったんだ。
まだ生きていたら相当苦労していると思う。
ただ、私も愛していたからも少し、わがままをいたり、恨み言を言ったりして私を離さないでいてくれれば良かったのに。と勝手に思ってしまいます。
これがさっきおっしゃっていた頼りない女の例になるのでしょうね。
結局はうるさく言われるのも、何も言ってこない女も思い話としてはいいかもしれないが、妻にするとなると本当に難しい。
それぞれの良い所ばかりを集めた女がいるとしたら、吉祥天女しか思い浮かばないが、それもそれで仏法くさく、人間離れしているのもまた面白くないでしょう。」
と言って、皆で笑った。
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この後、藤式部丞の体験談が語られますが、内容は漢学の才能があり賢い女で
返歌が早く、風邪をひいた時の薬として飲んでいたニンニクがぷんぷんするという話です。こんなアホみたいな話が朝まで続きます。
頭中将が話した女性は「常夏」と呼ばれていますが、この後に出てくる
「夕顔」と同一人物です。
〜あらし吹きそふ秋も来にけり〜
この歌は頭中将からすると、「もうすぐ風が強く吹く秋(飽き)がきますね」と軽く思ったみたいですが、彼女の意味としては
あらし吹き=頭中将の妻からの嫌がらせが強まる。
と言う意味だったそうです。
日本人、特に京都の人の遠回しなもの言い方って、平安時代から受け継がれているものなのでしょうか?
20歳前後の若造にははっきり言ってあげないとわからないのにね。
第二帖の「帚木」の雨の品定めは、源氏が17歳で色々な恋の話を聞いて、いつも相手にしている上流貴族だけでなく、中流貴族の女性にも興味を持つきっかけになります。
「桐壺」と「帚木」の間には「輝く日の宮」と言うお話があったそうです。
ここには藤壺の宮との恋と、六条の御息所との恋、朝顔の君との恋、
花散里との恋と、色々あったみただけど無くなったそうです。
元々無い、という説もあるからなんとも言えないけど。
私の文章力と想像力がもっともっとたくましくなったら書いてみたい憧れの
「輝く日の宮」です。
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