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抄訳・源氏物語〜空蝉 その四〜

軒端荻はだんだんと目が覚めて、思いもよらない出来事に驚いているだけであった。
源氏は空蝉の時のような、気の毒に思う気持ちが湧いてこなかった。
軒端荻が初めてのように感じだが、恥ずかしさで慌てたり、恥じらう様子はなかった。
源氏はこのまま自分だと言わないでおこうかとも思ったが、軒端荻が後からこのことを誰かに話したりして、噂になりあの冷たい空蝉のことまでもが知れてしまっては、空蝉が気の毒だと思った。度々方違えにこの家を選んでいたのは、あなたに会いたかったからだと言っておいた。それが嘘だと、察しの良い女性なら分かるが、まだまだ経験の浅い若い軒端荻にはそこまで見抜けなかった。

軒端荻には心惹かれるような魅力がないと感じていた。こんな時でさえ源氏の心は薄情な空蝉のことで一杯だった。
「どこかの隅に隠れて私のことを愚か者として見ているのだろうか。あんな強情な女性はめったにいない」と思っていながらも、空蝉が恋しくて仕方がない。そんな源氏の心も知らずに側にいる軒端荻が初々しくて素直だと思ってしまって後々のことなども話した。
「このような秘密の関係の方が、世間に認められた仲よりも、愛情が深いと昔から言われています。だからあなたも私のことを、私と同じぐらいに愛してください。私の立場上、自由な振る舞いが出来ないのです。それにあなたの両親も私たちの関係を心配されると思います。だから簡単に会いに来ることはできませんが、私の事を忘れずに待っててくださいね」
などと、浮気男が言うようなありきたりな事を言った。
「私もこの秘密の関係を知られたくありません。だから手紙を差し上げることもできないでしょう」と源氏の言葉を間に受けて素直に答えた。
「他人に知られては困るので何かある時は、この家の小さな殿上人に託しますね。だから秘密を誰にも知られないようにね」と言って、源氏は空蝉が脱ぎ捨てたと思われる薄衣を素早く手に取って部屋を出た。
隣の部屋で寝ていた小君を起こすと、上手くいくか不安に思いながらも寝てしまっていた小君はすぐに目を覚ました。
小君が静かに妻戸を開けると、年老いた女房の御達が「誰ですか」と大げさに言ったから、面倒に思って「僕です」と答えた。
「こんな夜中にどこへおいでになるのですか」
「ちょっと外に出るだけです」
と言いながら源氏を戸口から押し出した。夜明けが近くの明るい月光に人影が見えた。
「もう一人の方はどなたです」と御達が聞いたのに「民部のおもとですね、やはり背が高いこと」と御達が自分で答えた。
背が高い女房でいつも皆に笑われている人と間違えているようだった。
「そのうちあなたも同じくらいの背丈になりますよ」と言いながら、源氏たちが出た妻戸から御達も外へ出た。小君は困ったが御達を押し返すことも出来ずにいると、向かい側の渡殿の入り口近くに立っている源氏の側に御達が近づいて行った。
「あなた、今夜は母屋の方にいらしたの。私は昨日からお腹の調子が悪くて、部屋で休んでいたのに、急に軒端荻様がお泊まりになり不用心だからと言って、呼び出されてのです。でもどうもまだ痛くて我慢が出来ないのですよ」と苦しがりながら、返事を待たずに「ああ痛い、お腹が痛い、また後でね」と言いながら行ってしまった。やっと源氏はそこの場所から離れることができた。
やはり軽々しく忍び歩きはしないほうが良いと、懲り懲りだと思った。

小君を車の後ろに乗せて、源氏は二条院に帰った。空蝉に逃げられてしまった事を、小君が子供だからと駄目だったのだ、姉の態度はなぜなのだ、と言っている。小君は源氏が気の毒に思って返事もできなかった。
「おまえの姉さんは私をひどく嫌っている。そんなに嫌われている自分のことが私自身も嫌になる。どうして逢ってくれないのだ、少し声をかけてくれるぐらしてもいいのに。私は伊予介よりもつまらない男と思われているのか」
などと、恨みつらみを言っている。そして先ほど持ち帰ってきた薄い着物を寝床の中に入れて横になった。小君も側に寝かせて、空蝉の恨言や、恋しい思いを語った。
「おまえはかわいいけれど、つれない空蝉の弟だと思うと、いつまでもかわいがってやれないかもしれないな」
と、真面目に源氏が言うので、聞いていた小君は辛い思いをしていた。
源氏はしばらく横になっていたが、なかなか寝られなかったので、硯を用意させて、きちんとした手紙用の紙ではなく、その辺の紙に、

〜空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな〜
(蝉の抜け殻のように、着物を脱ぎ捨てて逃げていったあなたなのに、
やはりまだ忘れられずにいます)

と、走り書きをした。それを小君は、懐に大切にしまった。
軒端荻にも何か書いた方が良いのだろうなと色々と考えたが、辞めた。
空蝉が残していった小袿になつかしい匂いが深く染み付いていたので、源氏は片時もそばから離さずに置いていた。

小君が姉のところに行ったら、空蝉は待ち構えていて厳しく叱った。
「なんてことをするのですか。本当に驚きました。私は隠れてしまったけど、誰がどんな想像をするかわからないではありませんか。こんな幼く浅はかな考えでは、あちらの方があなたに事をどう思われるか、私は心配です」
と、言った。小君は姉からも源氏からも叱られて、辛く思っていたが、源氏の歌を差し出した。空蝉は怒ってはいたもののさすがに読んだ。
あの脱ぎ捨てた小袿を源氏が持ち帰ったことを知って、恥ずかしくなった。
着古しで、汗臭くなかっただろうか。そんなことを思いながら、返してもらうべきか、そうすると本当にこれで縁が切れてしまうかも、いや縁は切らないと。と色々と思い悩んでいた。
軒端荻も今朝は恥ずかしい気持ちで帰って行った。誰一人、女房ですら気がつかなかった事なので、ただ一人で物思いにひたっていた。小君が部屋をいったりきたりすると、胸が高鳴る思いがしたが、源氏からの手紙は来なかった。自分が空蝉の代わりにされたことなど気付けるほどまだ経験はなくても、手紙が来ないことで明るい性格の軒端荻でも、なんとなく悲しい思いをする日であった。
冷静さを装いながらも、空蝉はこれは真実の愛だったのではと感じられて、これが結婚前の娘の時だったなら、と変えられるはずもない運命を悲しく思うばかりで、源氏からもらった歌の端に、

〜うつせみの羽に置く露の木隠れて 忍び忍びに濡るる袖かな〜
(木の影に隠れている空蝉の羽に落ちた雫のように、
私の袖にも忍んで泣いている涙が落ちます)

そう書いた。

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雨の日に聞いた、先輩たちの恋の話に影響されて、始まった源氏の恋の冒険。
いつもは上流階級の女性たちが相手で、そこそこ上手く行ってたみたいだけど、中流のしかも人妻を相手には上手くいかなかった。
軒端荻が相手では物足りなくて気持ちが向かない。
17歳の源氏にとっては初めてばかりの体験でした。

空蝉が初めての失恋みたい書かれているけど、
『輝く日の宮』があったらそこではすごい大失恋をしています。(人妻に)
「手に入らない人」が源氏の恋のキーワードですからね。
17歳のイケメンでしかも皇子さまを跳ね退けた人妻の空蝉凄い‼︎

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