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ホームズが○○になった!?映画「Mr.ホームズ」 映画感想文&私的考察

Sir.イアン・マッケランがホームズを演じる「Mr.ホームズ」の感想&考察です。ネタバレ含みます。

誕生からまもなく130年、今も絶大なる人気を誇る、世界で一番有名な名探偵シャーロック・ホームズ。生みの親であるアーサー・コナン・ドイルの手によるシリーズは“正典”と呼ばれ、褪せることのない魅力で新しい読者を獲得し続けているが、パロディやパスティーシュにも優れた作品が数多くある。それらのなかでも、死を前にしたホームズが引退の原因となった未解決事件に再び乗り出すという、画期的かつ異彩を放つ小説の映画化が実現した。

海辺の家でミツバチの世話をしながら、穏やかな余生を送っているシャーロック・ホームズ。だがホームズには、死ぬ前にどうしても解かなければならない謎があった。約30年前、助手にして親友のワトスンがホームズのもとを去った日、ある男から奇妙な調査依頼が舞い込んだ。彼の妻が夫に隠れて怪しげな音楽教室に通い、亡くなった子供たちとの“交信”にのめり込んでいるというのだ。ホームズの捜査があぶり出したのは、妻による夫の殺害計画だった。しかし、事態は思わぬ方向へと転がり、取り返しのつかない失敗を犯したホームズは引退に追い込まれる。今、推理のカギを握る日本への旅から帰国したホームズは、探偵の才能を秘めた家政婦の息子ロジャーを助手に、最後の推理を始める!

公式サイトより

はじめに

この映画のキーワードは、
「記憶」、「孤独」、「蜂」です。

私がこの映画を見ようと思った理由は ↓ この記事を書いたから。

イアン・マッケラン主演、そしてビル・コンドン監督の「Gods and Monsters」。この最強ゲイ・コンビでの17年ぶりの新作。

そして一人暮らしの老人&家政婦という設定も同じ。前作と何かしら共通点を持たせつつも、ただの焼き直しだけのわけがない。新たな”何か”を提示している気がする…ということで興味が湧いたからです。

では「Gods and Monsters」(以下GaM)と「Mr.ホームズ」(以下MH)との共通点を挙げてみると、

主人公がゲイの老人
GaMは、ゲイの映画監督ジェームズ・ホエール(以下JW
MHは、ゲイでは?と言われている名探偵シャーロック・ホームズ(以下SH)(原作でも女嫌いの設定。カンバーバッチが演じたドラマ「シャーロック」でもクイア・ベイティングだと言われるくらい、ゲイをほのめかしている *クイア・ベイティング:実際に同性愛者やバイセクシャルではないのに、性的指向の曖昧さをほのめかし、世間の注目を集める手法)

二人とも身体機能に問題を抱えている
JWは67歳。脳梗塞の後遺症で体の一部が上手く動かせない&脳機能障害もあり幻影等が見え出す。
SHは93歳という高齢でリウマチ、そして最大の敵は記憶の喪失、メモリーロス。色々なものを忘れる&思い出せない状態に苦しんでいる。

住み込み家政婦がいる
JWはハンナ
SHはミセス・マンロ―

知識欲に溢れ主人公を慕う若い男性の友達
JWは庭師クレイ・ブーン 実の父親とは確執アリ。知的な父親像に憧れがある。
SHはミセス・マンロ―の息子ロジャー 戦争で父親を亡くし、母親は文盲。彼も知識を与えてくれるファーザー・フィギュアを欲している。

過去のフラッシュバック、劇中劇が挿入されるメタ構造がある。
GaMは、監督作の「フランケンシュタイン」や「フランケンシュタインの花嫁」や 少年時代、兵役時代、映画監督で撮影している時など。
MHは、30年前の事件、日本への旅行、ワトソン原作のホームズ映画など。

こんな感じで設定自体は非常に似ていると言っていいです。

ではコンドンとマッケラン、今回はどう料理したのか?
GaMはモンスターとなったJWの死と救済がテーマだった気がします。
MHは私が想像した斜め上に行く展開を見せてくれる面白い物語でした。

ではまず一つ目のキーワードの「記憶」から見ていきます。


「記憶」

ホームズの今回の敵は宿敵モリアーティではなく「記憶」記憶が敵なんです。93歳という高齢でメモリーロスに苦しんでいるSH。
なんとか脳機能を維持しようと、効果があると言われるローヤルゼリーを食べるために養蜂をしたり、ヒレ山椒を手に入れるべく日本まで出掛ける(山椒にそんな効能あるって初めて聞いた。実際は無いらしいですが、昔はそういう迷信があったようです)。

兄マイクロフトの遺品からワトソンが書いたホームズ本を見つけ、引退するきっかけになった30年前の自身最後の事件の本を読む。しかし結末が改変され事実と違う。フィクションは嫌いで事実だけが大事なSHは自身で真実の物語を書こうと決める。だがここで立ちはだかるのがメモリーロス。このメモリーロスと戦いながら少しずつ記憶を取り戻し真実へと近づいていくのが今回のホームズのミステリーです。

今回助手として活躍するのが亡くなったワトソンではなく、ミセス・マンローの息子ロジャー14歳。彼がSH不在時に先述の事件の書きかけ原稿を盗み読みする。話の続きに興味を持ったロジャーはSHに催促する。しかし思うように思い出せない。そんなSHだがロジャーとの交流&刺激によって徐々に記憶を取り戻し、停滞していた事件の全容解明に至るという流れです。


「孤独」

30年前の事件の真相は、2度の流産で悲しみに暮れるアン・ケルモット
彼女の夫が全くその悲しみを理解してくれない。そればかりか黒魔術にかかっておかしくなり、死んだ子供と話す為にアーモニカ教室に隠れて通っていると思い込み、真実を知るためにSHに依頼する。自分の悲しみを最も理解して欲しい人が探偵を雇わないといけないくらい何もわかっていない。その悲しみと孤独。絶望と虚無。彼女は自殺することを計画する。

しかし彼女は夫のジャケットから見つけたSHの名刺を見て、最後の最後にSHに望みを賭けようと思った。彼なら自分が何をしようとしているかを推理して理解するだろう。そしてその理由も。その理由を分かるということは自分の悲しみや孤独を理解してくれるということ。唯一の理解者になりえるのはSHしかいないのではないかと。それで孤独な魂が落ち着ける場所に一緒に行けませんか?と尋ねる(←一緒に死のうと誘ってるのではなく、一緒に慰め合って暮らしましょうと言う意味)。

しかしSHは、あなたの夫の元に帰った方がいいですよ、と言ってしまう。
事件の真実を究明でき、自分が女性と暮らすことなど想像もできない彼にはアン・ケルモットの未来のことなど思いやる考えがそもそもなかった。

それから数時間後、アン・ケルモットは電車に飛び込んで死んでしまった。

SHはそれを知りショックを受ける。彼女を唯一救えたのは自分だったのに、どうして手を差し伸べなかったのかと。そこから30年、孤独と共に生きることになる。

アン・ケルモットの孤独はわかります。
夫は理解してくれない、そもそもできない次元の人間。2度の流産でもう子供も産めない。自分の側には誰もいないことに打ちのめされている。
死はすぐ側にある。ほんの壁の向こう側に…と言う。
そしてこちら側には…と言おうとすると、
ALONE
とSHが間髪入れずに答える。生きてる現世の世界は孤独だと。彼も生きてきてずっと孤独だったと。SHは頭が良すぎるから誰とも理解できずに孤独なんだと冗談ぽく言ってましたが、それはあくまで誤魔化しだった気がする。

ではなぜ孤独だったのか?
ここでマッケランとコンドンが組んでることに意味が出てくる。
それはシャーロック・ホームズはゲイだからなんですよ(この映画の中の設定では)。
ゲイでも誰か見つければいいと一瞬思いますが、ココで時代を考えてみる。
SHの誕生年は1854年と言うことになっている。
かのオスカー・ワイルドの誕生年も1854年です。彼は同性愛の罪で投獄された人物。時代は同性愛を禁止していました。よってSHは心に蓋をして一切恋愛をしないように生きてきた。そしてずっと孤独を感じてきた。

彼がゲイだと示唆する部分はいくつかあります。
まずはミセス・マンロ―はずっとSHと息子が親しくなりすぎるのを危惧している。息子に色々知識を与えてくれる優しい爺さんならそこまで警戒する必要性はないはずなのに、異常に嫌っている。それはゲイに近づけたくないから。「GaM」でクレイがJWに近づくのを嫌な顔で見るハンナも同様だった。

もう一つはヒレ山椒。英語で”Prickly Ash”と言う。しかし往診に来た医者が言い間違える、”Ashly Prick”と。そんな言葉ありません。しかしこれ、”アシュリーのチ〇コ”という意味にとれるのです。学の無いミセス・マンローにはそっちの意味の方がピンときてる。
日本人の男と何カ月もやり取りし、それを探すためにわざわざ日本まで行く。チ〇コを求めて日本くんだりまで行くなんて、よっぽど男好きなんだと思われてる。だから料理に山椒をかけた時も嫌な顔をし、息子が食べるのにも嫌な顔をし、最後には勝手に捨ててしまう。この映画では山椒がちょっとゲイの象徴っぽくなってる。そうじゃないとこんな特殊な名前の植物出してきて、ず~っと意味ありげに語る理由がないですから。

さらにはこの映画のSHはトレードマークのパイプを吸わない。葉巻の方が好きだという。
「GaM」の中でも葉巻を吸うシーンがあった。調べてみるとそれはゲイを連想する物でした。

そしてこの「孤独」がSHの意識を変える。
これが「GaM」とは違うところ。「GaM」では孤独からの解放として死を選ぶ。
しかしこの映画では、なんとゲイの主人公シャーロック・ホームズをバイにするのです。

どういうことやねん?って感じですよね。
続きは次のキーワード「蜂」に続きます。


「蜂」

アン・ケルモットからの申し出を断ってしまったことを後悔したSH。孤独を理解し合う同士、性的関係がなくとも慰め労わりあって生きても良かったのではないか?と考えたはずです。

しかしメモリーロスでその後悔さえも忘れてしまっていた。
それが今回、ロジャーとの捜査で記憶を取り戻し、あの時の後悔を思い出す。
その直後にロジャーがスズメバチに刺され危篤に。
絶望するミセス・マンロ―。夫にも先立たれ、姉とも仲は良くない。ロジャーがいなくなると孤独が待ち受けている。
ロジャーを子供、孫のように大事に思い始めていたSH。ロジャーを失うミセス・マンロ―の苦しみや孤独が理解できる。アン・ケルモットの時は喪失の苦しみと孤独も頭で理解しただけ。しかし今回は自分事として心から理解でき、ミセス・マンローの前で泣き崩れた。

そこでSHは言う。家も財産も二人に全て譲るつもりだと。だから一緒にいようと。結婚したかどうかはわかりません。そういう発言も描写もなかったですから。でも財産を譲るということは家族になろうという意味だと思いました。

アン・ケルモットからの一緒になる申し出は受けなかったホームズ。
あの時は(形式上の)バイになることも拒否したわけです。ゲイだからそんなこと考えもしなかったから。
しかし今回は自分から(形式上)バイになることをオファーした。孤独という溶媒が化学変化を起こしたわけです。

それとロジャーが無事だったら、父親の代わりになってやりたいとも思った。なぜか?日本で会った梅崎氏が何十年も消息の絶えた父親を思い続けている姿を見たから。どういう意味があるんだろう?と思っていた梅崎氏の話はココに掛かってくるわけです。喪失感を抱えて生きていくことの辛さを痛感したSH。ロジャーにはそういう苦しみを味わわせたくない。

ということで「Mr.ホームズ」は、
ホームズが93歳にしてゲイからバイになって幸せを掴む物語だった。

では、私が劇中で見つけた”ホームズ・バイ説”を補強する色々を書いていきますね。

まずはこの映画の原作本のタイトルが
「A Slight Trick of the Mind」
”心or気持ちのちょとしたイタズラ(ごまかし)”
という感じでしょうか?

ゲイにこだわって孤独に生き続けることと、
そこにこだわらず、ちょっと気持ちをごまかしてもいいんだ、相手が女性でも、必要な人、大事な人と一緒に生きてみれば幸せになれるのでは?バイになってもイイじゃない?幸せになるのにそのラベルにこだわるのは無意味だよ…と言いたかったタイトルなのでは?と思うのです。

もちろんゲイにプライド持って生きたっていい。でも93歳、もう性愛的な愛し方なんてどうでもいい。ただ心が暖かくなる相手、心が満たされる相手と暮らせたらいいって感じでしょうか?映画「エゴイスト」で龍太のお母さんが死に際して、息子の恋人を”息子”と呼び、”そばにいて”と手を握ったあの感じと似ている気がします。最近の分類だと”パンセクシュアル”になるのかな?でも性的な対象ってことでもないから微妙に違うかも?

ついでにバイとは関係ないけどタイトルでもう一つ。
最後に梅崎氏に手紙を出すSH。しかし内容は彼が父親のことを誇りに思えるような内容のフィクション。これまでは事実のみが大事でフィクションは認めなかったSH。しかし気持ちをちょっと変えるだけ、A Slight Trick of the Mindで誰かを幸せにできることを学んだ。ここにも掛かってくるタイトル。

そしてやっと「蜂」です。
この映画、「蜂」がず~っと大事なテーマを持ってるに違いないというくらい出て来ます。原作本の表紙も蜂がド~ンと載ってます。
そもそもはコナン・ドイルの原作に、引退後のホームズが養蜂をする記述があるので蜂が出てくるのはそこからなんですが(原作に忠実)、この映画では敢えてそこを大きく扱っている。

最初私は「蜂」がゲイのメタファーかと思いました。針で刺すのを男性の挿入と掛けてるのか?女王バチ=Queen クイーンはゲイの隠語だから…とか。しかしなんだかちょっとしっくりこない。この映画はSHのゲイの部分より女性との関係、女性と結ばれる部分を重視している。

ではバイになるということでは?と閃いた時にググってみると、

Why a bee?
Short answer: it's a pun! We are the B in LGBTQIA+, so B = bee!
Longer answer: The bee is a great symbol for us. Bees are often overlooked, misunderstood, and even feared, but bees are an integral part of their greater ecosystem and take care of the others in their hive. Bi+ folks are the majority of the larger queer ecosystem, and we fiercely care for our diverse, intersectional hive.

from bisexual resource center

LGBTQ+のBはBee=蜜蜂というダジャレ的に、ミツバチはバイセクシュアルのシンボルになっているのです。

目からウロコ!!😲

さらにそれを裏付けるのがラストシーン。
SHは原爆の焼け野原の広島で死者を弔う方法=石を地面に並べて拝む姿を見てきた。
そしてそれを真似て、ワトソン、マイクロフト、ハドソン夫人、梅崎夫妻、アン・ケルモット…もういない6人に見立てた6個の石を置く。六角形、ハニーコムの形に。そしてその中でSHが祈るところで映画は終わる。
まさに蜂の巣の中にいるホームズはBee(Bisexual)になったということを表しているわけです。

これで意味が分かりにくかった場面の筋が全て通る。

さらに補強する場面がないかと探しました。

アン・ケルモットとベンチで話す場面。
アイリスの花にミツバチが留まる。印象的に画面に映る。
アイリスの名前の由来を調べると、

the name of the iris comes from Greek mythology. In the Greek language, the word iris actually translates to rainbow. And so the flower was a representation of the goddess of the rainbow, who was known as a messenger for Zeus and Hera.

ギリシャ神話の虹の女神から来ているようです。
LGBTQ+のシンボルカラーであるレインボーにB(ee)が留まる。
”B”をあえて強調しているわけですよね。

あと梅崎氏。
最初は梅=ゲイのことかな?と思いました。前に調べたから。

しかし”バイ”と読むことが出来る。だから梅崎なんだと納得。
梅崎なんてそこまでメジャーじゃない苗字持ってくる。アメリカ人の作者が適当に選ぶ方が難しい気がします。
ただタミキっていう変な名前は何なんですかね?父母はマスオとマヤだったのに。
あと日本の景色が…特に食堂のシーンが思いっきり中国だったw。
パイ・メイみたいな白髪の三つ編みした男性がいたし。メイ=梅ってことなのか?なんで真田広之が出てるのにアレでOKにしたのかは謎。

追記:tamiki でググってみたら原民喜という日本の作家がいました。
彼は広島で被爆し、その体験を詩『原爆小景』(1950年)や小説『夏の花』(1947年)等の作品に残した…と言うことですので、原作者は原爆のことを調べていて彼に辿り着いた可能性はあるかもしれませんね。


それ以外の考察など

アン・ケルモットの手袋

彼女の手袋が記憶を呼び覚ますキーアイテムでした。
手袋というアイテムに何か意味がないか調べてみました。
すると…

if you pick up a glove in ancient times it is suppose to bring bad luck. In English folklore picking up a glove should only be done by a lover. This dates back to the medieval era and the glove indicates the hope of love if it is picked up by someone you love.

こんな風に書かれているのを見つけました。
古代では”手袋を拾う”ことはバッド・ラックをもたらすと。
アン・ケルモットの自殺、そしてそこからSHの引退。不幸をもたらしました。
イギリスの中世の伝承では、愛する人に拾われた場合は”愛への希望”の意味になる。これはロジャーが見つけ出したことで、SHの人生における最後の愛へと繋がったと考えるべきでしょうか?

蜂は英王室のメタファー?

女王蜂を頂点に社会を形成している蜜蜂はイギリスを表しているのかも?
スズメバチの攻撃第二次大戦のメタファーのような気がします。それで多くの人が亡くなった。その社会全体で感じている喪失感。それがSHがミセス・マンロ―と一緒になろうと後押しするもう一つの要因でもあるかと。

大きな喪失感君主国家だったという共通点から”日本”が登場するのかも?
この物語で日本が出てくるのが妙に突飛な感じがして仕方ないんですよね。
93歳のSHがわざわざ日本まで行くなんて正気の沙汰じゃない。それも神戸から入ったという設定なので船で行ったことになる。
(もちろんドイル原作で、SHがBaritsuという架空の日本発祥の格闘技を習得しているという設定から日本との関わりが生まれた可能性もあるが)
原爆による焼け野原の広島でその大きな喪失感を見せるために、神戸からわざわざ広島まで行ったりしたのでは?あんな草も生えてないところに山椒の木が育ってるのに違和感しかないし、SHが訪れたのは1947年の5月という設定だったかな。原爆投下から2年足らずで放射能の影響とか考えたら93歳のSHが行くのもこれまた無理がある(当時でもSHほどの人間なら放射能の知識はあったとは思うし)。

カメオ・ローズ

アン・ケルモットが付けている香水の香り。
これもなんだか珍しいもの持ってきたなという印象。
カメオの様に薄いベージュのバラと言うことらしいけど、そこまで細かいバラの花言葉は無さそうだった。

そこで”カメオ”に限定して考えてみると、誰かカメオ出演しているのでは?となる。
調べてみると、劇中劇、SHがワトソン原作のホームズ映画を観に行く。その中でSHを演じているのはNicholas Rowe。彼は1985年の映画「Young Sherlock Holmes」でSHを演じた俳優でした。
(アルモニカの先生役のFrances de la Tourは後の2020年、ホームズの妹を主人公にした「Enola Holmes 」というネトフリ作品に出ているらしい。逆カメオ?)

これもカメオと言うのか?
映画オープニングで汽車に乗って日本からの帰途につくSH。
席の向かいに座る子供に蜂を潰しちゃいけないよ言う。この男の子、見たことあるな~と思っていたら、ネトフリドラマ「Heartstopper」でバイ?のラグビーする主人公の1人Nick Nelsonを演じているKit Conner君でした。

ニックのカミングアウト・シーン。バイと言ってますね。
キット君自身も22年にバイセクシュアルだとカミングアウトしているそうです。
「ロケットマン」で若いエルトンジョンも演じていたそうで、若い時からLGBTQ+と縁があるんですね。
しかし当時はKit君自身もバイセクシュアルだとは自認していたかどうかの年齢。もし自認していてオープニングに起用されたのだとしたらスゴ過ぎません?この映画。バイで始まりバイで終わる。お見事!

アルモニカ

ベンジャミン・フランクリンが発明した楽器。一時は大流行し、モーツァルト、ベートーヴェン、リヒャルト・シュトラウス、ドニゼッティ、サン=サーンスなど、現代の我々にとって親しみ深い大作曲家たちによる作品もあるそう。
しかし悪い評判が出始める。

練習や演奏に熱中した多くの人が、アルモニカのせいで神経障害やうつ病、目まい、筋肉の痙攣などに罹ったと言い出した。このため、アルモニカはその美しい音色とは裏腹に大変怖い楽器だという噂が口々に伝わって、人々の恐怖感が煽り立てられた。

wikiより

アルモニカには本当にそういう認識があったようです。しかし科学的にはどれもその関連を解明されていないし、指先からガラスに含まれる鉛が吸収され鉛中毒になるなどは考えにくいと書かれている。

ガラスの楽器。これもかなり珍しい物を出してきた気がする。
上記にあるように不安や寂しさを増幅するような不思議な音色はアン・ケルモットの心情にピッタリ合うと言える。
そしてガラスというのがポイントかも?
彼女は亡くなった子供達、死者の世界は現世のすぐ近く、薄い壁の向こうにある気がするというようなことを言っていた。たとえばガラス一枚隔てた向こうにいるような感覚だったのではないだろうか?アルモニカを弾いているときに子供たちの声が聞こえる。ガラスの向こうに子供たちがいるような気持でガラスに触れて演奏していた…と考えられるかもしれない。

そう考えれば、オープニングも汽車の窓ガラスを見ているし、アン・ケルモットも剝製屋のショーウインドウを見つめていた。アンが自殺用の薬を買う時もガラス越しだったり、ガラス越しと言うのは作為的に多用していたような気がする。

蜂入りガラス文鎮

ガラス関連でもう一つ。
SHが梅崎から貰った日本蜜蜂が閉じ込められたガラスの文鎮。
これも意味ありげなアイテムです。

これを考察してみると、
アン・ケルモットとの思い出、彼女との話のきっかけには手袋に留まった蜂がいた。
今回の事件の核心は彼女との会話にあった。しかしそれを思い出せないSH。
つまり蜂はその思い出、そしてそれがガラスの中に閉じ込められている=記憶の中に閉じ込められている…と言うことではないだろうか?

途中でSHはロジャーにその文鎮をあげる。
SHとロジャーの絆を強めた象徴の蜂が入っており、ロジャーにアン・ケルモットのミステリーを解く役を任せたということでもある(←結果ロジャーがアンの手袋を見つけることがキッカケで解明していく)。
さらには文鎮という形態。母子家庭で不安定な環境にあるロジャー。SHが彼の親になることで経済的安定と精神的安定を与えることが出来る。色々な知識を与えることも出来るだろう。知識は彼の人生を支える重石になる。そういう意味で重石=文鎮になったのではないだろうか?

ちょっと気になる点

原作本ではロジャーが蜂で死ぬ…という記述をチラッと見ました。そうなってくると映画のエンディングはどう改変されたのか?原作のエンディングはミセス・マンロ―とどういう結末を迎えたのか?気になります。まあロジャーが亡くなったとしても、大きな喪失感を味わう二人が一緒になるのは不思議ではない。しかし映画の様に明るい未来は想像できないのでツラいです。

「A study in scarlet」 
コナン・ドイルの最初のホームズ本。 劇中で梅崎から見せられる父親から送られてきた本でもある。これは劇中で作者の名前がよくわからなかった。ワトソンが作者だったのか?ドイルの名前が表記されていたのか?
マイクロフトの遺品の中のワトソンのホームズ本が赤い表紙だったから、ワトソン著だとは思うけど…。メタの世界線が物語の中に入り込んでる不思議設定になってないかな?と期待したんですが(;^_^A


さいごに

ということで「Mr.ホームズ」は、ゲイであるホームズがバイになるという話だと解釈してみました。無理あったですか?でもこれが一番しっくりきます。私的には。

まあLGBTQ+が細分化されてきた昨今ではバイと言い切るのも微妙に違うような気もしますが、一応映画内では対象が女性に変化しているのでバイと言うことで(;^_^A。

ゲイリー・P・リュープ著「男色の日本史」を読んでいると、江戸時代には物凄く両性愛が普通のものとして捉えられていたと書かれていました。いろいろな社会的条件が重なると両性愛も常識になる。人間の性指向も思った以上に流動的で、性活動ももっと幅が持てるものなんだと思うんですよね。異性愛が絶対的な正義という概念なんて所詮支配者側が作為的に作った常識なんだろうなと思うわけです。その辺りを皆が共通認識として持てたら、色々と楽になるんだろうなと思います。

グルーミング。ジャニーさんの記事とかでは虐待の一種の様に書きましたが、本来は動物の毛づくろいから来ている言葉。性別関係なく愛しい相手に寄り添う、優しく触れ合う、傷をなめてあげる、孤独、喪失感を埋めてあげる、そういう人間同士のグルーミングし合う大事さを教えてくれる映画だった気がします。

ロジャーの容態を見に行くときに、ホームズとミセス・マンロ―は手を繋いで行く。Hold your hand. そっと寄り添い合う二人。

ドラマ「Glee」で母を亡くしたカートの手をしっかり握り支えた父バート。そのバートが病で倒れた時に彼が歌ったビートルズの「I want to hold your hand」を思い出しました。

これ聴くといつもウルっと来ちゃう。アン・ケルモットは手を取り合う相手がいなかったけど、この二人の様に手を繋ぐことで前に進んでいける。
私も人生のいろんな場面でスッと手を差し出してくれる存在がいてくれたら…こんなひねくれた人間にならないで済んだのにな~(;^ω^)。

ホームズのバイ説が面白かった、バイとは思わないけど面白い解釈だったという方はスキ💓を押していただけると励みになります😉

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