記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画感想「ボーはおそれている」:ボ~っと生きてんじゃないわよ!!地獄に落ちるわよ!!

(チコちゃん&細木数子という悪夢のようなレビュー・タイトルを付けちゃいましたが(;^_^A、読んで頂ければわかるかと)

*ネタバレ注意:映画を観た前提で書いているので、ネタバレされたくない方はご自分で回避なさってください。

「ミッドサマー」で有名なアリ・アスター監督の新作「ボーはおそれている」を観ました。

3時間も狂気に満ちた世界を見せ続けられる、なかなかの怪作。ホラーといえばホラーだけど、ぶっ飛びすぎてて笑ってしまうことの方が多かった気がする。

ずっと恐ろしいことが起こるのでは?と恐れている主人公のボーホアキン・フェニックス)。路上に死体が転がってるような、とんでもない狂気に満ちた町で暮らしている彼(そもそもなんでそんなところで暮らしているのかも謎)が、父親の命日に実家に帰ろうとするも家のカギを盗まれ帰れなくなる。その後、母親も死んだという知らせを聞き、半ば強制的に実家に帰る旅路に出ることになる。そしてこれまた胡散臭く怪しい家族に保護されたり、森の中で活動する謎の劇団で過ごしたりして、最後は実家に到着。そしてさらに訳が分からないラストへと向かっていく…。

なんとも寓話的な物語。最初は現実世界の話かと思いきや、徐々にありえないことの連続で、ああ~現実の話じゃないんだと分かってくる。

そしてその寓話的な訳の分からない出来事の数々、結局はこれといった答えが明示されるわけでもなく、不可解なものは不可解なまま物語が進み、最後まで説明はないまま。

それで海外サイトやnote記事で考察を探してみると物語の解像度がグンと上がりました。

↓こちらの記事は英語で書かれていますが、

↓こちらのnote記事が同じような内容を日本語で解説してくれている気がしました。

ただ、ボーが母親にお風呂で○○されていたってのは別の所から参照したのかな?私はそういう性虐待的なものは、そうなんかなぁ~という程度で、そこまでこの映画の重要ポイントだとは思えなかったです。

で、私の結論としては、ラストシーン、ボーがボートで海?に出ていった先で、急にスタジアムのような場所でスタックして、母モナからの裁判を受ける。これは「最後の審判」という意味では?と頭に浮かびました。

映画序盤でボーが暴漢に襲われてナイフで刺される時に、手のひらと脇腹を刺されていました。つまり聖痕。ボーにキリストを重ねている。すると母モナが聖母マリアかのように錯覚しますが、聖母マリアというよりボー=人間を生み出した創造主としての神がモナの立ち位置だと思うわけです。

最初から最後までボーのことを監視=見守っていたわけですし、どんな形であれ息子=人類を愛してきた、愛を与えてきた存在…まさにキリスト教における神の描写そのままな気がします。

映画の中でが重要な意味を持って描かれます。ボーの苗字もWassermannでWasserがドイツ語で水。薬を飲むときの水、少年時代に母親との旅行もクルーズ船上、そこのプールで死体が浮いてる、幼少期のお風呂の記憶、最後も海にボートで出ていく…。水は命の源でもあり、死をもたらす恐ろしい存在でもある。キリスト教やユダヤ教でも、ノアの箱舟の話では世界を破滅させるし、モーゼの十戒の話では海が割れて人々を助ける。まさに神がその力を顕現させるときに使われる物質が水であることが多い。

ボーという名前もそう思うと興味深い。BEAUとはフランス語由来の名前。そもそもは「美しい」という意味。Beautifulという単語にもBEAUって入っていますよね。そしてさらにBEAUの中にEAUというフランス語の「水」という単語が入っている。80%が水で出来ている美しい存在である人類って意味を持たせているんでしょうか?「水」つながりで命名された可能性はありそう。

そして最後の審判のwikiを見ると、

最後の審判(さいごのしんぱん、Last Judgement)とは、ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰である。特にキリスト教においては「怒りの日」と同義に扱われる。

ボーの生きてきた人生(現在の堕落し、恐怖が蔓延する人間社会の隠喩)を審判され、海に沈められた=地獄に落とされた…ということなんだろうと思います。母モナが怒りまくっていたのも、「怒りの日」なんだからさもありなん。

そして宗教的観点でのレビュー記事はないかな?と思って出てきたのがコチラ。

この方曰く、ボーの様子はまさしく厳しい戒律に雁字搦めのユダヤ教徒、さらにはずっと迫害を受けてきたユダヤ人の姿だと。そして神から理不尽に苦しめられ続けるのはユダヤ教の「ヨブ記」に当て嵌まるとか。
さらに、この方の指摘で初めて知ったのですが、監督のアリ・アスターがそもそもニューヨーク生まれのユダヤ人でした。そうなるとこの意見が私的には一番しっくり来ましたね。欧米の作品でワケワカラン系のものは大抵、聖書由来だとか宗教由来の話が多いですもんね。

あとボーが実家=故郷に帰るというのを、古代ギリシア、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア(英語で言うとOdyssey)」になぞらえているのも読みました。「オデュッセイア」もギリシアの小国の王が故郷に戻る旅路の話で、ポセイドンやセイレーンが邪魔をしたりするそう。海の神、水の精霊が邪魔をする、ここも水がなぜか関連してますし、ギリシャ神話の神々も大概人間に対して理不尽。多少は引用されているのかもしれません。

あと「君たちはどう生きるのか」がダンテの「神曲」が下地にあると聞いたので、この作品も地獄めぐり的な感じだし、その要素も入ってる?とも思いましたが、やっぱりユダヤ教ベース説の方がしっくり来る気がします。

このユダヤ教、キリスト教の神と人間の関係を下敷きに、母親と息子の関係も重層的に表現。親のエゴとか、共依存とか、子の自立とか、歪んだ愛情とかの要素を入れてあるのがこの映画なんだと思います。

途中保護されるロジャーとグレースの家。娘のトニがペンキ飲んで死んでしまう。あれは一体なんで!?と思いましたが、上記の記事によると、親の愛情は戦死した兄にばかり向いており、生きている娘は無視されている。それに怒り絶望して”兄の部屋”で死んだんだと。あ~そういう意味だったのかと。私も兄を小さい頃に亡くし、その後、親が宗教に走って…と同じような境遇にあったのに全然気付けなかったのが恥ずかしい(/ω\)。

モナのように与えすぎても恐ろしいし、ロジャー&グレースのように与えなくても子供は死んでしまう。親の愛って…何が正解なのか、本当に難しいです。


あのペニスの化け物、あれはボーの恐怖の具現化したものなんでしょう。父親も祖父も曽祖父も、セックスで子をなした瞬間に死んでいったと母親から聞かされ育った。つまり父性or男性性性(SEX)のシンボルであるペニスが「死」に結びつく恐怖のシンボルになっている。天井裏でその恐怖の根源と対峙したこと、自分の恐怖の根源の正体が男性性と性というのに気付いたことで、彼に意識の変化が起こったのか(ある意味、自分の男としての性を意識しだす第二次性徴思春期に突入)、その後母親に反抗(反抗期にも突入)=首を絞めるという行為に出る。そして船出もする。あの天井裏を境にしてボーは少し自発的に行動するようになっているんですよね。

映画最序盤、ボーが生まれてくるところから始まり、最後は海にある洞窟を通って母親の元に戻ってしまう。子宮から出て、また子宮に戻ってきたようなボーの人生の旅路。そう思うと、この映画における水は”羊水”的な意味合いもあったのかもしれません。

生まれて死んで…また生まれる?生まれ変わる?(←母親の子宮に戻ってきたと考えたらの場合ですが)そんなボーの未来のこと、東洋の輪廻転生的思想で考えると、ラストは絶望だけじゃない…と思えてちょっと気が楽になるかも?いや、またあの母親の元に生まれるなら悪夢は続くのか…ヤメテあげて~!www

話変わって、母モナ役だったパティ・ルポーン

この記事によると、

アリ・アスター監督が母親役を誰にしようか悩んでいた時、2017年のレッドカーペットでの彼女のインタビューがネットミームになっていたのを観て、「いい意味で、ムッチャ怖い!!」と思ったのでオファーを出したんだそう(笑)。

その時のインタビューがこれみたいです。

ルポーン「トランプが私の舞台を観に来たら私は舞台に立たないわ」
インタビュアー「ホントに?」
ルポーン「ホントよ」
インタビュアー「なぜなの?」
ルポーン「あのマザーフ〇ッカーが大嫌いだからよ!」

と、時の大統領にハッキリもの申す姿が賞賛されたみたいです。
日本の70代の女優で「岸田はク○野郎だから大嫌い。舞台観に来たらボイコットするわ!」なんていう方、いますかね~?生きてたら樹木希林、存命の方なら加賀まりこ辺りなら言ってくれるかな(笑)。

パティ・ルポーンは長年舞台中心で活躍してきた女優さんで、ブロードウェイミュージカル「エビータ」のエビータ役とかが有名だったりするそう。

映画「エビータ」ではマドンナが歌っていた「Don't cry for me Argentina」を歌っているパティ・ルポーン。

コメント欄を見ると1970年代、1980年代にブロードウェイで彼女がエビータを演じているのを観たという人たちからのものがあります。そんなに昔から…そりゃあ”ブロードウェイ・レジェンド”と言われるわけですね。

wikiを見てみると、「刑事ジョン・ブック目撃者」「ドライビング・ミス・デイジー」などの往年の名作にも出てる。ドラマでは最近の「glee」「アメリカン・ホラー・ストーリー」などにも。私も絶対観てるはずなんだけど、パッと思い出せないのが悔しいなぁ…顔はなんとなく知ってはいたんですけど。観直す機会があれば注目して観てみたいと思います。

もう一人の、というか一番の主役ホアキン・フェニックスについては、「グラディエーター」の若い皇帝役で初めて見てから、「Walk the line」「ジョーカー」など、彼の役者人生を思い返したり、そうそう、ルーニー・マーラとの間に子供出来たんだっけ?名前を兄リバーから取ったのよね…そのルーニーの姉がケイト・マーラ。その旦那が「リトルダンサー」のジェイミー・ベル。ということはビリー・エリオットとボーは親戚なんだな…親の愛で生かされたビリーと、親の愛に殺されたボー…何とも対照的😅。

さらにはリバーとホアキンの親が入信していた「神の子供たち」という宗教団体についてのwikiを読んだりして、ホアキン自身も親というか、宗教というか、神というかに振り回された人生を歩んでいたわけで、なかなかにこのボーというキャスティングも意味深いんだな~と思ったり。

そう考えると、有名人も四六時中監視されてるような部分があるし、ボーの母親が有名人というのと、ホアキンの兄が有名人というのもちょっと似ている。さらには周りで突然人が亡くなる体験。これ、リバーがクラブでオーバードーズで亡くなった時ホアキンも一緒にいたという話もあるし、ある意味似たような体験をしている訳で、フラッシュバックもあっただろうに、ホアキン、よく演じたよ。頑張った!!


ということで、私的「ボーはおそれている」の星☆評価は…
星☆7点!!

3時間というほど長さは感じなかったけど、それでもやっぱり長いのは長い。そして考察なんかを読まないとやはり意味不明なものが多すぎて、どうしても消化不良感が残る。で、やっぱり救いがない。それで-3点というところでしょうか?

追記:2024/03/07

映画評論家の町田智浩氏の「ボーはおそれている」の解説動画がありました。(私のこの記事の一日前にアップされてたようです。でも私は未視聴でしたので記事書くときに影響は受けてません)

アリ・アスター監督に直接訊いて言質を取って確認してくれている。やはりユダヤ人、ユダヤ教の物語だという見方は間違っていなかった!!うん、そこですよね、この映画の本題は。

あと「jewish mother」の話や、監督が影響を受けてる「albert brooks」の話、カフカがユダヤ文学の系譜とか、新しい知識、知らない概念も学べて勉強になりました。これは他の映画なんかを読み解くときにも役に立ちそう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?