
日本における輸入ワイン販売黎明期のころ
Vol.050
いま東京にいれば、特別に苦労することなく、イタリアワインが飲める環境が整っています。ヴィーノサローネは、イタリアワインを専門に販売しているため、「イタリアワインを飲める環境」と書きましたが、ワインの種類全般において、どこでも気軽に楽しめる場があります。しかし、そんな環境が整ったのは、遠い昔の話ではありません。
まず、日本に輸入されたワインは、ポルトガル産です。その後、フランスやドイツ、イタリア、カリフォルニア、スペインのワインが日本に上陸してきました。今日にいたるまでの道のりは、その筋のプロでしか知りえないことも多いので、今回は、一冊の本をよりどころにして、輸入ワインの歴史を紐解いていきます。
本のタイトルは、ずばり『ワインビジネス』。副題に「店を持たない不思議な酒屋が成功した法則と、輸入ワインの歴史」とあります。著者は、1970~2000年代に酒販を仕事にした安井康一さんです。

当事者でなければ知りえない話も多く、リアルな時代観を味わえます。
2015年初版。
かつて、主がこの本を読んだとき、気になる箇所に線を引いたり、枠で囲ったりしました。いま振り返ってみても再確認すべき事柄が多く、いくつか本から抜粋してみます。ただし、本文をそっくり抜き書きするのではなく、少し要約した部分もあります。ちなみに、著者の安井さんが輸入ワインに携わった時代は、日本におけるワイン販売黎明期。当事者ならではの、当時の臨場感が伝わってきます。
<洋酒といえば、ウイスキーとブランデー。そこにワインが輸入されてきます。日本には、「赤玉ポートワイン」が人気でしたが、本場のワインと比較すると、随分甘口のワインでした>
<1967年、『ワインの知識とサービス』という本を著したのが、浅田勝美さん。パレスホテルに勤務する日本のソムリエ第1号。後に、日本ソムリエ協会の初代会長となりました>
<1970年代、ワインといえばフランスかドイツでした。日本での販売価格は、いちばん安いフランスワインで1本700円。ボルドー産の高級ワインで1本8,500円>
<ボルドーワインには、右岸と左岸があります。右岸のサンテミリオンは、メルローが多く、左岸のメドックは、ブドウ品種はカベルネソーヴィニヨンが主体です>
<1970年代、日本で数多くのボルドーワインを所有していた店は、銀座の本格フランス料理店『マキシム・ド・パリ』>
<1970年代、ワインを輸入していた会社は国産洋酒メーカーのサントリー、外資系商社のジャーディン・マセソンが代表的。ジャーディン・マセソンは、江戸時代の末期からアジア全体で商いをしていました>
<スーパータスカンを代表する『サッシカイア』が1968年に登場します。1978年、イギリスで最も権威のあるワイン雑誌『デキャンタ―』が主催するブランドテイスティングで、フランスの名ワイン『シャトー・マルゴー』を抑えて、ベスト・カベルネを獲得したことにより、世界トップクラスにワインに躍り出たのです>
<カリフォルニアワインの『オーパス・ワン』やイタリアワインの『サッシカイア』を、はじめて日本に輸入した会社は、バークレイ・ジャパン社。バークレイ・ジャパン社のオーナーは、ユダヤ系フランス人>
<1980年代まで、酒類販売業界でワインといえば、圧倒的にフランスワインのことでした>
<酒類販売の規制緩和は1989年。これにより、酒類小売マーケットの中心は、古くから続く酒屋から、酒類小売免許を取得したスーパーマーケットやディスカントショップへ移りました。大手酒問屋は、1990年代半ばから酒類流通における立場を失っていく。ワイン消費の伸びにともない、販売する酒類はワインが増大していきました>
<バブル真っ盛りの1980年後半から1990年代初頭。爆発的な人気となったボージョレ・ヌーヴォー。なかでも、ジョルジュ・デュブッフ社のヌーヴォーは、フランス帰りのシェフたちによって薦められ、マーケットの主流となったのです。その背景にあるのは、ヌーベルキュイジーヌの創始者、ポール・ボキューズ。彼がデュブッフのヌーヴォーを推し、世界的な広がりとなりました>
<1980~90年代、ジャーディン・マセソンは、ボルドーワインはシャトー・ペトリュスに代表されるムエックス社の右岸ワインを中心に販売。ブルゴーニュワインでは、英国人ワイン評論家、ヒュー・ジョンソンが推薦するワインに焦点を当てて販売していました>
<ソムリエという言葉が急速に一般化したのは、田崎真也さんが、1995年に第8回世界最優秀ソムリエコンクールで優勝したのがきっかけでした>
<1990年代に入ると、イタリア料理の大ブームもあり、イタリア料理店が増え、イタリアワインが広まります>
<フランス全土をカバーするネゴシアンのようなシステムがイタリアにはないため、各地の優れた生産者は、個々に日本にワインを輸出するようになりました。1990年代はまさに、小さな規模の輸入元がイタリア各地のワインを紹介する、新しい時代の幕開けです>
<2000年代にかけて、イタリアワインを中心に輸入開始した会社は、ワインウェイヴ、アビコ、パシフィック洋行などです>
<2000年代になると、各国ワインの持ち味を色濃く打ち出す販売戦略がはじまります。イタリアは国際品種にとらわれない、多彩な土着品種を強くアピールします>
<いわゆる自然派の造り手が台頭したのは、2000年代の特徴です>
<自然派ワインの生産者は、農薬をできるだけ使用せず、土壌に多様な生物がいるような環境のブドウ畑を望んでいます>
<ナパヴァレーの偉大な醸造家、ロバート・モンダヴィ氏は、2008年に亡くなりました>
<2010年代に入ると、高級赤ワインのブームも収まりました>
長い引用になりましたが、このあたりで留めます。
一つひとつみていくと、いまや常識となった話もあります。
<ボルドーワインには、右岸と左岸があります。右岸のサンテミリオン は、メルローが多く、左岸のメドックは、ブドウ品種はカベルネソーヴィニヨンが主体です>
この情報は、すでによく知られた産地の特性ですが、当時、著者の安井さんは、ワインを販売するために素直に勉強されていたのだと思います。
ワイン・プロモーションが重要な時代に入るのは、このころです。
<1980~90年代、ジャーディン・マセソンは、ボルドーワインはシャトー・ペトリュスに代表されるムエックス社の右岸ワインを中心に販売。ブルゴーニュワインでは、英国人ワイン評論家、ヒュー・ジョンソンが推薦するワインに焦点を当てて販売していました>
ワインの売れ行きを伸ばすためには、ワインの専門家や識者、ジャーナリズムの力が重要になった証のようなものです。
主が納得したのは、なんといってもこの部分。
<ソムリエという言葉が急速に一般化したのは、田崎真也さんが、1995年に第8回世界最優秀ソムリエコンクールで優勝したのがきっかけでした>
当時、主は2度目のイタリア取材に赴き、ファッション撮影のディレクションをしていました。現地でも田崎さんのことが大きな話題でした。間違いなく、日本におけるワインブームがはじまったのは、1995年。ほんの30年前の話なんですよ。
それでは、「イタリアワインの現在地」はどこにあるのかといえば……。
<2000年代になると、各国ワインの持ち味を色濃く打ち出す販売戦略がはじまります。イタリアは国際品種にとらわれない、多彩な土着品種を強くアピールします>
<いわゆる自然派の造り手が台頭したのは、2000年代の特徴です>
いま、ワイン造りはこのあたりのコンセプトを基礎にして、最先端のマーケットは動いています。その進化形のひとつが、ワイン造りの原点回帰によるオレンジワインといえるでしょう。そして、さらに広がりをみせています。
次回の“ディアリオ ヴィーノサローネ”に続きます。