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制限のある世界から自由になろう〜ゆるしを与える〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

気づいたらもう6月ですね。今年も下半期に突入です。
振り返れば意外と濃密な半年間だったなぁと思います。

最近、自立と依存のバランスについて考えることが多いです。

自立と聞くと、ついつい人に頼らず自分のことは全部自分でやると思ってしまいがちですが、実は、それは勘違いな気がします。

大人なので自分のことを自分でやるのは当たり前と考えるのですが、本当の自立した人というのは、人に頼れる強さがあると思うのです。

今まで、人に頼ることは依存心からだって思って来ました。
だから、借金のことも誰かに頼らず全部自分で解決しようと思って来ました。

でも、本音は1人で抱えるのは辛かったし、苦しかったです。
でも、自分で招いたことだし、人に迷惑かけたくなかったので高い利子を払っても自分でお金を回していました。

誰かに頼るくらいなら、高い利子を払う方がマシだったのです。
お金で解決出来るなら自分にとっては安いものだったというか。

ただ、やはり1人で解決出来るレベルなら、とっくに解決出来ているわけで、長いこと解決出来ていないなら本当は誰かのサポートが必要だったのだと、ここ数ヶ月で思い知らされました。

ダイエットも借金も同じようなものだと思います。
note始めた頃、こんな記事を書きました。

結局、社会で暮らす中で抑圧した行き場のない感情エネルギーが暴発して過食に陥ったり、お金を使うことで発散するわけです。

どんなに抑え込んでも、そこにあるエネルギーは消せません。
食べちゃダメ、お金を使っちゃダメといってコントロールすればするほど、鬱屈した感情は行き場をなくします。

もっと建設的な方法で解消出来たら良いのでしょうが、いくら解消しても、ある性質がある限り何度でもふくらんできます。

ダイエットも借金返済も、結局、“依存心”と向き合わない限り、絶対に上手くいきません。

いくら自制して管理しようとしても、水面下にある膨大な“依存”は、いとも簡単に理性を突破します。

わたしは、ここ数年、依存心と向き合い自立の方向性に舵を切って来ましたが、自立の意味を履き違えていたように感じます。

冒頭でも書きましたが、全部自分でやろうとしたのは、というより自分で出来ると思っていたことは、大きな勘違いでした。

本当に自立した人というのは自分で出来ることの限界が分かっています。なので、適度に人にお願いすることが出来ます。

でも、依存心を隠していたり抑圧していると、頑張って自立したという怒りを内面に抱えているので、人に頼ると心のどこかで負けたような気がしたり、お願いすると嫌がられる気がしてしまいやすいです。

自分が依存心を抑えつけた分だけ、相手に自分の嫌った依存を投影してしまうのです。

本当に辛いときは人に頼ったって良いのです。
もし人に頼ることが悪なら、この世界は成り立つことが出来ません。

きちんとお願いして頼れる方が実は精神的に大人なのだと思います。

もちろん、人に頼らないで努力すれば自分の出来ることも増えます。
それはそれで大事なことだと思います。

でも、自分の器を超えた以上のことをしたい時は、誰かにお願いする必要が必ず出て来ます。

もしかしたら、人にお願い出来ないとき、自分は心のどこかでやるべきことをサボったという罪悪感があるのかもしれません。

本当は出来るのに、人に甘えてばかりで能力を磨いて来なかった負い目があるのかもしれません。

ですが、たとえ負い目があったとしても自分を赦してあげて欲しいです。

自分を赦してあげることが出来たその先に、今まで気づけなかった世界が待っているはずです。

わたしは、今年の下半期、その世界を観に行きたいです。



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2度あることは3度あるとは、まさにこのことです😱

今日も一日お疲れさまでした。
良い休日をお過ごしください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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